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ファッション豆知識

レース(17)

ここまでおもに手工のエンブロイダリー・レース(刺繍レース)からニードル(ポイント)・レース、ボビン・レース、混成レースをご紹介してきました。膨大な手間と時間のかかるこれらの手工レースは、おおむね16世紀から18世紀に最盛期を迎え多くのスタイルを生み出しましたが、19世紀にレース織機が発明されると、一気に機械化が進みます。

18世紀末のフランス革命以降、フランスのレース職人たちは、宮廷の贅沢に寄与したとして処刑されたり、処刑を免れるために国外に逃亡したりしたため、フランスのレース産業は一時消えかかっていました。そのため、イギリスの宮廷ではレースの輸入が困難になり、大打撃を受けます。そのことが結果として、レース機械の発明を促すことになりました。

もともとイギリスでは産業革命が始まり、中央部に位置するノッティンガム(Nottingham)で1589年にウィリアム・リー(William Lee)牧師が手動のメリヤス編機を発明しており(「セーター」「靴下」参照)、それをもとにミシン(Sewing machine)が発明されました。(「ミシン」参照)

ミシンと同様にメリヤス編機をもとにして、ジョン・ヒースコート(John Heathcoat)という発明家が1808年に「オールド・ラフバラー織機(Old Loughborough machine)」という六角形の網目のボビン・ネット(チュール)生地を作る機械を開発します。

その後、ジョン・リバー(John Levers)がこのオールド・ラフバラー織機をもとに改良を重ね、1813年に今日の「リバー織機(Leavers machine ※aはフランスで読みやすいよう付け足された)」の原型を作り、特許を得ました。当初の機械は巨大で音も大きく、この機械から優雅で繊細なレースが生み出されるなんて、なかなか想像しにくかったでしょう。また、大変使い勝手が悪く、まだまだ改良の余地は多大にある機械でした。

一方フランスでは1801年、リヨン(Lyon)の発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール/ジャカード(Joseph Marie Jacquard)によって「ジャカード織機(Jacquard machine)」というパンチカードによるプログラム可能な織機が開発され、特許を取っていました。
1837年にはリバー織機にこのジャカード織機のシステムが取り込まれ、飛躍的に進化します。1841年にはライナーを描く太めの糸が取り込めるようになったり、複雑な柄を作れるようになり、より手工レースに近いレースの製造が可能となりました。

こうして機械によって作られたレースは、手工のレースとは区別して「機械レース(Machine lace)」と呼ばれています。

ジョン・リバーが開発したリバー織機で作られたレースは一般的に「リバー・レース(Leavers lace)と呼ばれています。

レースの優雅さは、使われている糸の本数の多さによるとも言われますが、リバー・レースは時には1万〜2万本という多数の細い糸を用いながら、複雑で繊細な模様をゆっくり撚り上げていくため、機械編みと言えどもその扱いには熟練した人間の技術が必要です。その高い芸術性ゆえに、最も手工レースに近い最高級の機械レースと言われています。

よく作られたのは、アランソン・レース(Alençon lace)(「レース(4)」参照)、クリュニー・レース(Cluny lace)(「レース(11)」参照)、ヴァランシエンヌ・レース(Valenciennes lace)、マリーン・レース(Malines Lace)、シャンティイ・レース(Chantilly Lace)(3種とも「レース(12)」参照)、トーション・レース(Torchon lace)(「レース(13)」参照)と人気の高い手工レースを模したレースだったようです。

リバー・レース【Leavers lace】

リバー編機で編んだレースの総称。イギリス人ジョン・リバー(John Leavers)が19世紀のはじめにヒースコット(John Heathcoat)のレース編機のボビンとキャリジ(往復台)を改良し、すぐれた編機にしたところからこの名がつけられた。ごく細い糸をいろいろの模様に撚(よ)りあわせてつくり、糸をたくさん使ううえに機械の速度が遅く、最高の技術を必要とするので、かなり高価であるが、ケミカル・レースの豪華さとはまた違った繊細な糸使いが魅力である。現在では機械編機の王といわれており、ひじょうに優美なもので、その種類も多く、品質もよい。俗に糸レースといわれており、幅のせまいものは縁飾りに、広幅のものはドレス、家具カバー、カーテンなどに広く用いられている。

「ロビン・フットの伝説」でも知られるノッティンガムは、1589年のウィリアム・リー牧師のメリヤス編機から始まり、ジョン・ヒースコートのボビン・ネット(チュール)織機、ジョン・リバーのリバー織機、と数々の織機を生み出し、ヨーロッパの中でも有力なニット・レース産業地になりました。何千人もの人が働く大規模な工場が建てられ、ニットとレースはこの町に繁栄をもたらしました。現在では高級住宅街となっている歴史ある町です。

そのノッティンガムで作られたリバー・レースは「ノッティンガム・レース(Nottingham lace)」と呼ばれ、ロイヤル・ファミリーのウェディング・ドレスやおくるみとして現在も使用される英国王室御用達の由緒あるレースです。
ノッティンガムで1912年創業された老舗ニット・ブランド「G.H.HURT & SON(ジー・エイチ・ハート・アンド・サン)」のおくるみは、エリザベス女王、ダイアナ元妃も出産時に愛用し、キャサリン妃もジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子のお披露目の際に使用したことから、世界中から注目されたそう。

パターンごとにパンチカードがあり、複雑な柄も美しい絵画のように編み上げられています。

ノッティンガム・レース【Nottingham lace】

イングランド中央部にあるノッティンガムで生産される平たんな機械編レースで、ヴァル(Val)レース、クリュニー(Cluny)・レース、トーション(torchon)レースやカーテン用レースなど多種のネット・レースがある。

イギリス政府はこの機械レース市場を独占しようと、リバー織機の輸出を禁止しますが、産業革命にともなう機械化拡大によって、失業の不安を感じた手工業者・労働者が起こした「ラッダイト運動(機械破壊運動)」が1811年から1817年頃にかけて起き、リバー織機の技術者たちがフランスに渡ってしまいます。リバー・レースはその後カレー(Calais)やコードゥリー(Caudry)といったフランス北部の町で発展します。
ちなみに、ジョン・ヒースコートのレース工場も1816年にラッダイトに襲撃されましたが、工場をデボン(Devon)州のティヴァートン(Tiverton)に移したことにより、この地のレース産業を確立することになりました。成功を収めた彼は、ティバートンの国会議員まで務めたそうです。

その後イギリスの機械レース産業は、1860年代をピークに1930年頃にはフランスにそのお株を奪われたために衰退してしまい、1987年にはリバー織機自体の製造が終了しました。現役の機械は約700台と言われていて、そのうちの約8割はフランスの老舗メーカーが保有しており、世界でも限られた場所でしか作られていないため、リバー・レースは最も貴重で高価な機械レースとなっています。

機械レースは、初めは手工レースを模していましたが、やがて手工レースと同様、展開されるそれぞれの土地で独自のデザインや手法を生み出していきます。
現代のファッションに使われているのはほとんど機械レースだと思うと、レース織機の開発は、ファッションの世界にとって大きな功績ですよね。

次回はイギリスからリバー織機の技術者がフランスに渡った後、進化を遂げていった美しいフランスの機械レースをご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。