ファッション豆知識

レース(12)

前回、デンマークの「トゥナー(トンダー)・レース」というチュール・レースをご紹介しましたが、今回はアンティーク・レース愛好者の間で、ニードル・レースと並んで人気のあるチュール・レースをご紹介したいと思います。

少しおさらいになりますが、チュール・レースは、「メッシュ・グラウンディド・レース(Mesh grounded lace)」、略して「メッシュ・レース」、または「ネット・レース(Net lace)」とも言われており、連続式のストレース・レースには、ギピュールとこのチュール・レースの2タイプがあります。(「レース(10)」参照)

「チュール・レース(Tulle lace)」という呼称はボビン・レースに限ったものではなく、現在は、網目地であれば手法にかかわらず、すべて「チュール・レース」と呼ばれているようですが、もともとは、フランスのチュール(Tulle)という町で作られたレースが網目状のレースだったことから、「チュール」という名が当てられたようです。

網目状のレースは地域により様ざまな技法がありますが、規則的な網目は機械が得意とするところのため、その多くは機械編みレースになっていきました。

ここではトゥナー(トンダー)・レースのような連続式ボビン・レースの代表的なチュール・レースをいくつか挙げてみたいと思います。

チュール・レース【Tulle lace】

<メッシュ・レース>のこと。1775年フランスの中央高地チュール市でレースづくりが行われるようになり、ルイ16世の時代(1774-1793)にひじょうにさかんになったが、はじめは飾りのない網目だけのものであった。のちに機械でつくられるようになって、機械編のネット地をチュールというようになり、ブリュッセル・チュール、ボビン・チュール、ポワン・デスプリの名がつけられた。またチュール地に模様のあるレースのこともいい、ドレッシーな感じがするので、ダンス・ドレス、カクテル・ドレス、イブニング・ドレスなどに用いられている。

軽やかなチュール・レースを得意としたのは、フランドル地方です。

18世紀に、現在はフランスの北部の町となっているヴァランシエンヌ(Valenciennes)で、繊細で軽やかな「ヴァランシエンヌ・レース(Valenciennes lace)」が登場します。

おもにエレガントな花や植物が緻密なデザインで描かれており、レゾー(réseau)=網目地も均一で美しく、その白さも高く評価されました。このレースの網目は最初は丸っぽかったようですが、後に四角になったようです。
また、緻密な表現をするために、極細の糸と膨大な数のボビンを使用するため、高い技術と長い製作時間を必要としました。8ミリ四方を編むのに1週間近くかかり、1着のドレスを編むのに12年かかったものもあるとか。
そのため、非常に高価なレースとして知られています。

ヴァランシエンヌ・レースは、おもに女性の室内着や下着、ベッドリネンなどに用いられました。 フランス革命の後、ヴァランシエンヌ・レースの職人たちは皆、同じフランドル地方でも現在のベルギー側の町に移り住み、ブルッヘ(ブルージュ)などの都市部や郊外、修道院などでこのレースの製作を続けました。今でもベルギーのイーペルやヘントという町では、ヴァランシエンヌ・レースの最高級品が作られているそうです。

ヴァランシエンヌ・レース【Valenciennes lace】

ヴァランシエンヌ(フランス北部の古い都市)産の高級レースで、通常略して<ヴァル(Val)>とか<ヴァル・レース>といわれる。これは端のまっすぐなレースの最初のものである。模様もレース地も同じ1本の糸でつづけて編んである美しいボビン・レースで、模様は花柄やたれ模様でコルドネ(cordonnet=絹、金、銀の撚糸)は使われず、したがってもり上がった感じはない。大きな網目で糸も色も美しく、花模様がメッシュの上にあり、その美しさは絶妙で、模様は精巧をきわめひじょうに高価で、8ミリ四方を編むのに1週間ちかくかかり、1着のドレスを編むのに、実に12年の歳月を要したともいわれている。元来のヴァルは亜麻糸(リンネル)で編み、模造レースは木綿糸で編まれている。普通は手編であるが、機械編のものでも美しく、かつ良質のものもある。機械編のものは下着類、幼児服、洗たく回数の多いドレスなどに広く使われており、手製のものはハンカチーフ、ネックウェアなどに使用されている。このレースはフランスでは衰えてしまい、1656年以来ベルギーの人たちの手によって、さらに美しくされたものである。西部フランドル地方では、最高級なヴァランシエンヌ・レースがつくられている。

ヴァランシエンヌ・レースと同じように、花や植物が描かれた緻密なデザインで、極細の糸によって編まれた繊細なフランドルのレースに、「メヘレン(メッヘレン)・レース(Mechelen lace)」があります。
こちらも大変手間のかかった高級チュール・レースです。

メヘレンは、レースの名前に土地の名前を付けた最初のフランドルの町なのだそう。
このメヘレン(Mechelen)というのはオランダ語で、この町は他にも多くの呼び方があるため、少し注意が必要です。
英語では「メクリン(Mechlin)」と呼ばれるので、「メクリン・レース(Mechlin lace)」と記述されている場合も多いです。またこの町、フランスでは「マリーヌ(Malines)」と呼ばれており、その英語読みは「マリーン」なので、このレースは「マリーヌ」とか「マリーン」とも呼ばれています。

デザインは定番の花柄が多いものの、このレースにはその他リボン、人、動物、天使などのモチーフも見られます。レゾーにはヴァランシエンヌ・レースと同じように極細の糸が使われていましたが、モチーフには比較的太い糸が使われていたようです。
その曲線的に繰り返される緻密なモチーフがドット(水玉模様)で飾られたり、装飾性の高い、かつ透明感のあるデザインが人気でした。

装飾性の高い美しいデザインゆえに、おもに服飾用レースとして使われました。
幅広の連続式のストレート・レースなので、縁取りだけでなく肩を大きく覆うストールのような使い方もされたようです。

また、こちらの網目は当時流行していた六角形で、丸や四角形の網目のヴァランシエンヌ・レースとは、網目の形で見分けられます。
レース(4)」でご紹介したフランスのアランソン・レースや「レース(6)」でご紹介したブリュッセル・レースも、六角形の網目のレゾーの美しく軽やかなレースでしたね。

メヘレン・レースは、その透明感と美しさで「Queen of lace(レースの女王)」の異名をとり、18世紀にその人気は絶頂を迎え、ヨーロッパの王侯貴族たちを虜にしてきましたが、このレースは、フランス革命後は衰退してしまいました。
ヴァランシエンヌ・レースが登場した18世紀のヨーロッパは、ご存じのようにロココ調が流行し、軽やかで繊細なレースが各地で多く作られました。 ヴァランシエンヌやメヘレンの他にも「ディエップ(Dieppe)」、「ル・アーヴル(Le Havre)、フェカン(Fécamp)、オンフルール(Honfleur)といった緻密で軽やかな美しいレースは、「Point de fée(妖精のレース)」と呼ばれるまでに完成度を高めましたが、これらの多くもフランス革命以降衰退し断絶してしまったそうです。

メクリン・レース【Mechlin lace】

ベルギーの都市メクリン産の模様入りレース。これは英語読みであって、現地ではメヘレンとよばれている。一般にメクリン・レースといわれているものは、ボビン・レースに属し、目のこまかい薄い六角形の網に花模様がほどこされ、花模様のまわりは撚(よ)り糸で縁取りされている。メクリンの名は1657年ごろフランスの目録に記されており、繊細なレースとして有名であったが、これは他のフランドル・レースのこともさしていた。1685年にこれらのレースがそれぞれ特定の名をつけられたとき、それらの中でもとくに真のメクリンは、もっとも美しいレースとしてレースの女王(Queen of lace)とよばれた。これはきわめて優美で地が薄いことでしられていたが、ヴェネシアン・レースよりもさらに薄く、透きとおって繊細なレースであった。古い真のメクリンは、18世紀ごろとくにその優美さをたたえられ、ひじょうに流行し、少なくともフランスでは絹糸でつくられた。

マリーン【Malines】

フランドルでつくられるメクリン型のレースで、もとベルギーのマリーン(メケレン)で手工業的に生産されていたので、この名がある。漂白された木綿糸または絹糸で編んだ六角形網目の薄いチュールで、のりでかたく仕上げられ、ネックウェア、イブニング・ガウン、ヴェールなどに用いられる。現在は機械製である。

多くのフランドル地方やフランスの美しいレースが、フランス革命以降衰退し、途絶えていきましたが、このパリの北に位置するシャンティイ(Chantilly)という町で作られていた「シャンティイ・レース(Chantilly lace)」は、一度途絶えたものの、再び復活したレースです。

17世紀に、ロングヴィル公爵夫人という人が、この町の修道院などでレース工房を立ち上げました。
このレースが開発された当初は、縁レース用の狭い幅のものだったようですが、次第に技術力を上げて、用途が多い幅広のものが作られていき、19世紀にはこのレースのショールが女性の間で流行っていたそうです。
また、最初は生成り色のリネンやシルクの糸で作られていましたが、レースの白さが競われるようになると、どんどん白さを増していきました。

フランス宮廷で人気が高まり、特にルイ15世とルイ16世の時代に流行し、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人や王妃マリー・アントワネットにも愛されました。
けれどもフランス革命で、レース職人は王家側の人間とみなされ、デュ・バリー夫人やマリー・アントワネットと同様、シャンティイのレース職人も処刑されてしまったそうで、この時点でこのレースの製造は途絶えてしまいます。

その後、ナポレオン1世がシャンティイ・レースの復活を支援し、昔の技術とデザインを復活させます。ただし、生産地はバイユー(Bayeux)周辺のノルマンディー地方に集約され、1830年頃に最盛期を迎えます。
そういえば、アランソン・レースもナポレオン1世が結婚の際に妻に贈ったことから、復活しましたね。(「レース(4)」参照)レースが宮廷で好まれるのは、美しいだけでなく、やはり権力の象徴だったからではないでしょうか。

最盛期の頃のシャンティイ・レースは、白や黒のシルク糸が使われていました。当初は黒のレースはあまり用いられなく、白のレースより安かったそうですが、後に宮廷で使われるようになると、人気が逆転します。特にナポレオン3世のウージェニー皇后が黒いレースを愛し、大流行しました。そのため、シャンティイ・レースというと、「黒い高級シルクのレース」というイメージが強いようです。

太い糸で縁どられている花かごや植物、果物などのモチーフは、他のレースと競う中で、より細く軽やかな糸で緻密に編まれており、その繊細さは当時最も高く評価されていた、という説もあります。

そして、このレースの特徴は、ヨコ糸を互いに交差させて作られる「ダブル・グラウンド(Double ground)」と呼ばれる菱形の網目にあります。

おもに衣服に使われますが、ベッドカバ一やカーテンなどインテリアにも用いられています。

後にベルギーでも生産されるようになり、19世紀半ばに手編みと区別がつかないほどの機械が登場し、今でも生産が続けられています。

シャンティイ・レース【Chantilly lace】

<シャンティー・レース>ともいい、パリ近郊のシャンティイでつくられたレース。最初は18世紀はじめごろにつくられた縁レース用のせまい幅のものであった。フランス革命で一時つくられなくなったが、ナポレオン帝政時代にふたたび繁栄した。この時代のものは絹のギピュール・レースで、白と黒のものがあった。それらは細いコードで縁取った模様のあるボビン・レースで、とくに黒絹のレースは有名で、最初白いレースより安くあまり用いられなかったが、のちに宮廷で着用されるようになって、ひじょうにはやった。このレースの特徴は菱形のメッシュにあり、緯(よこ)糸を互いに交差させてある。これをダブル・グラウンドという。その中に花かごや果物などの模様を編み、太い糸で縁取りされている。このレースはブリュッセルレース、アランソン・レースなどと同様、古くからフランスで愛好され、18世紀末には婦人たちが乗馬のさいに帽子のはしからたらしたり、仮面をかぶったりするとき、黒のベルベットにこのレースをつけたりしてさかんに使われた。19世紀後半にはショールやスカートのフリルなどにも使用した。また衣服だけでなく、ベッドカバ一、カーテンなどにも用いる。

シャンティイ・レースと同じくシルク製で、マリー・アントワネットやウージェニー皇后に愛されたレースが、「ブロンド・レース(Blonde lace)」です。

この名前は、この時代のレースにしては珍しく町の名前ではありません。
「ブロンド」とは、いわゆる金髪の「ブロンド色」のことで、それはこのレースが、最初中国産のさらされていない生成り色のシルク糸で作られていたからです。
ただし、後にはシャンティイ・レースのように、時代のニーズに合わせて白や黒のものも作られ、いずれも非常に人気が高かったそうです。現在は、白と黒のもののみが作られているそうです。

シルクならではの光沢のある大胆な図柄と比較的大きめなレゾーを特徴とし、メヘレン・レースのように、レゾーは極細の糸を使い、モチーフには太い糸が使われています。 特に、マリー・アントワネットの好んだドット(水玉模様)は、不幸な彼女の最期を偲んで「Tears(涙)」とも呼ばれているそう。歴史のロマンを感じますね。

ブロンド・レース【Blonde lace】

絹糸で編まれたボビン・レースの一種で、ブロンド・ネット、ブロンド・ドゥ・カーン(blonde de Caen)などをいう。ブロンドの名は、このレースが、最初さらしていないクリーム色の絹でつくられたためである。またこの絹は中国から輸入されていたため<ナンキン>ともよばれた。白い絹のボビン・レースは1745年に、それ以前は亜麻糸のレースがつくられていたカーン(Caen=北フランスの港町)ではじめてつくられた。しだいに糸の色や品質が改良されて、繊細な純白のレースもつくられ、美しくすぐれたレースとしてしられるようになった。このレースは2種の糸を用い、細いものは網地用に、太い方は模様編に用いられた。1840年には黒いレースもつくられ、やがて白レースと同じようにひじょうに流行した。現在はもはやクリーム色の絹糸は使われず白か黒が使われている。模様には、とび柄や花模様、つる草、水玉模様などがあり、マリー・アントワネット(Marie Antoinette 1755-1793)やウージェニー皇后(Empress Eugénie 1826-1920)はこのレースを好み、ウージェニーの肖像画にはその着用姿がみられる。またとくにアントワネットの好んだ水玉模様は、不幸な女王のため、ティアーズ(tears=涙)とも名づけられている。

ボビン・レースの中でも、極細の糸を使用した繊細なチュール・レースをいくつかご紹介しましたが、このタイプのレースはレースの中でも最も種類が多く、他にもフランスのバイユー(Bayeux)やリール(Lille)、フランダース地方のベフェレン(Beveren)、イギリスのバックス・ポイント・レース(Bucks point lace)など、とてもご紹介しきれないほど美しいレースがたくさんあります。

雨が上がった秋の散歩道。極細の糸を使用した繊細なレースのような蜘蛛の巣を見つけましたよ。
中世の人たちは、蜘蛛の巣や稲穂などの自然からレースのデザインのヒントをもらっていましたが、自然に触れると、想像力がわいてくる気がします。

次回はまた、違うタイプのレースをご紹介していきたいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。