ファッション豆知識

レース(11)

前回は、連続式のストレート・レースの中でも、ギピュールと呼ばれるレースをご紹介しましたが、引き続き、ヨーロッパの代表的なギピュールをご紹介したいと思います。

フランスの南東部に位置するル・ピュイ(Le Puy)、現在のル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)という地域はレース生産地として有名で、ここのレース作りはフランスの無形文化遺産にも指定されています。

ル・ピュイは、中世からフランスでもっとも有名なキリスト教徒の巡礼地として知られており、巡礼者に加えて商人たちもこの街に多く出入りしていました。この地のレース作りは、彼らがレースを持ち込み、女性たちにレース作りの技術を教えたことが始まりだと言われています。
ル・ピュイのレースについて記述した最古の記録は、ボビン・レースについての記述かどうかは不明ですが、1408年のものだそう。いずれにしろ、早くからレース作りが始められていたことがわかります。

ここで作られたレースは「ル・ピュイ・レース(Le Puy lace)」と呼ばれており、特に18世紀中頃から19世紀に作られた、ブラックの紗織用シルク糸で作られた花柄や幾何学模様のものが有名です。

1640年、この地域の多く(約7万人という説もあります)の女性たちがレース作りに従事したため、貴族たちが、自分たちの使用人が雇えない、という抗議をトゥールーズの高等法院にしたことから、レースの付いた衣服の着用が禁じられる、ということがありました。そうすると、たちまちこの地域のレース産業は荒廃し、失業者があふれたそうです。
それを見かねたイエズス会の神父ジャン・フランソワ・レジ(Jean-François Régis)は、高等法院に訴えてその決定を無効にさせ、この地域のレース産業を復活させたと言われています。 その逸話から、彼はレース職人の守護聖人となり、英語読みで「聖ジョン・フランシス・レジス(St. John Francis Regis)」または「聖レジス(St. Regis)」と呼ばれ、人びとから親しまれています。

ル・ピュイ・レースと同じような、花柄や幾何学模様のギピュールには他に、同じフランスの「クリュニー・レース(Cluny lace)」があります。

クリュニー・レースは、初めニードルで作られていましたが、次第にボビンで作られるようになり、さらに機械でも作られたので、多くのスタイルを持ち、なかなかその見分けが難しいようです。

「世界中に最も広まったレース」とも言われ、あのベッドフォードシャー・レースが作られたイギリス中部をはじめとして、フィンランド、スペイン、ブラジル、マダガスカル、北アメリカ、アジアにまで広がりました。

クリュニー・レース【Cluny lace】

ギピュール・レースの古い型のもので、この名はフランス東部の都市、クリュニーにあるベネディクト派の修道院の名からとられている。アイボリー・ホワイト色の麻糸や木綿糸でつくられたブライドやバーのあるあらいレースで、古くはニードルで、しだいにボビンで編まれるようになった。とくに黒でつくられたものはひじょうに印象的であった。渦巻(うずまき)模様や花模様などの円模様がほとんどでひじょうに美しく、黒いレースはとくに不思議な美しさがあるといわれる。このレースの初期のものはまったく失われているが、16世紀のパターン・ブックに数多くの図があり、模様に変化をあたえるため、ダーニング・ステッチで糸をわたして浮彫り模様がほどこされ、幾何学的な模様をゆるく、あるいはきっちりと編んである。精巧なものはドレスやブラウスの飾りに、あらいものはかけ布の縁飾りなどに使われた。ルイ15世(在位1715〜1774)の時代にひじょうにもてはやされたレースである。またこれに似せてつくった模様製のレースもある。

デンマークにも、王の名が付いた美しいギピュールがあります。

デンマーク=ノルウェーの国王、クリスチャン4世(Christian IV / 1577-1648)がレースをこよなく愛し保護したことから、デンマーク王室伝承のレースは総称として「クリスチャン4世のレース(英表記ではChristian IVのみであることが多い)」と呼ばれています。
デンマークでは、初期にはイタリアなどからレースを輸入していましたが、このクリスチャン4世の保護下で、デンマーク独自のレースが発展しました。

16世紀から18世紀のヨーロッパでは、レースは権力と富の象徴で、王侯貴族は家系固有のレース・パターンを持っていたそうですが、デンマーク王家のパターンは他の王家とはまったく異なる独特のものなのだそう。現在、デンマークのレース愛好家が、残された現物や絵画などからこのパターンの復元を試みているそうですが、糸運びが複雑で、ある程度の熟練した技術と知識がないと再現できないようです。

クリスチャン4世は、服装や日用の布製品に大好きなレースをふんだんに使用しました。そのレース好きの程度が尋常ではなく、なんと軍服や傷ついた目を覆う眼帯にまで、豪華なレースがほどこされていたというから驚きです。血が付いたシャツやハンカチーフなど、今でもそのまま残されていて、博物館で見ることができるそうです。デンマークへ行く機会があったら、ぜひ、クリスチャン4世のコレクションを見てみたいですね。コペンハーゲンのローゼンボー城、ヒレレズのフレデリクスボー城国史博物館、国立美術館、王立博物館などに展示されているそうです。

デンマークのレースというと、ユラン(Jylland:丁語)半島のトゥナー(Tønder:丁語)のチュール・レースも有名です。

日本では、ユラン半島は「ユトランド半島」、トゥナーは「トンダー」「テナー」と、そしてこのレースは「トンダー・レース」と表記されることが多いかもしれません。

チュール・レースというのは、「メッシュ・グラウンディド・レース(Mesh grounded lace:英)」とも言われ、連続式のストレート・レースは、ギピュールとこのチュール・レースに分けられます(「レース(10)」参照)が、網目地のものは手法にかかわらず、すべてチュール・レースと呼ばれているようです。

この地域では、17世紀頃からレース作りがされており、国の産業としても奨励され、発展しました。
多くの場合、その担い手は農民の女性で、彼女たちは幼い頃からレース作りを教えられます。商人が彼女たちにパターンと糸を供給し、できあがったレースを買い取っていたそうです。

このレースは、繊細さとおおらかさを併せ持つ斬新で自由な図柄に特徴があり、高度な熟練した技術が必要でした。

この細かな網目を作るのは、ニードル・レースよりもボビン・レースの技法の方が得意とも言え、チュール・タイプのボビン・レースは、ギピュール以上にたくさんあります。
特に軽やかでしなやかなレースが好まれた18世紀以降、軽やかさとしなやかさを実現するチュール・タイプのボビン・レースの人気は、世界各国に波及しました。

次回は、美しいこのチュール・レースをご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。