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ファッション豆知識

レース(18)

2月の一大イベントといえば、バレンタイン・デー。
今年皆さんは、どのように楽しまれましたか?

チョコレート菓子で有名な株式会社 明治が発表した最新のバレンタインに関する意識調査によると、今年はアイドルなどの「推し」や友人など親しい人にバレンタインを贈るZ世代(15歳~26歳)の女性が昨年より約10%増えたそうで、「本命チョコ」や「義理チョコ」などに加え、「推しチョコ」なんて言葉も登場しました。
また、「推しと一緒にチョコを撮影してSNSに投稿する」など「本人に直接渡さない」スマホネイティブなZ世代ならではの楽しみ方も登場しています。
欧米では贈る物はチョコだけではなく、カードをはじめとして花やケーキなど様ざまだ、と「刺繍(5)」でも書きましたが、最近は贈る物もデジタル化したり、「物」ではなく「体験」などを提供したり、とバレンタイン・デーの楽しみ方はますます多様化しているようです。

でも、個人的にはカードや贈り物を手渡されると、やはりうれしいですね。デジタルな時代だからこそ、アナログなコミュニケーションに何か特別感を感じてしまいます。
贈り物のラッピングにレース模様のレース・ペーパーを使うと、ちょっと格上な贈り物になりますよ。レース・ペーパーは100円ショップなどで手軽に買えるので、来月のホワイト・デーのお返しで試してみてはいかがでしょう?

さて、お話を本物のレースに戻しましょう。

前回お話したように、イギリスでラッダイト運動(機械破壊運動)が起こったことから、リバー織機の技術者がフランスに渡り、機械レースはその後フランスで発展しました。

ジャカード織機を発明したジョゼフ・マリー・ジャカール/ジャカードの出身地でもあるフランスの南東部に位置するリヨン(Lyon)は、北部のカレー(Calais)やコードゥリー(Caudry)と並んで、フランスの機械レースの主要産地となりました。
リヨンで作られた機械レースは「リヨン・レース(Lyon lace)」と呼ばれ、19世紀後半のヨーロッパの上流階級の間で大変流行しました。
リヨン・レースはチュールを機械織りし、その後に手縫いの刺繍で仕上げた機械と手工の混成レースで、大柄なモチーフを織り込んだ華やかなデザインのものが人気だったようです。

今でも、19世紀後半からリヨンで使われていた機械を復活させ、現存する3台の機械でリヨン・レースが作られているそうです。

レース産業の機械化の中で、刺繍を施す機械も生まれ、新しいレースが生まれました。

1860年代初頭、アントワーヌ・ボナズ(Antoine Bonnaz)というフランスの絹織機技術者が、チェーンステッチを刺繍する産業用足踏み刺繍機(Embroidery machine)の開発に成功します。
その刺繍機の特許を、最終的にパリの工場にいたアルコール・コーネリー(Ercole Cornely)が取得し、「コーネリー機(Cornely machine)」として発売されます。
コーネリー機は、当初はフランス北部で販売されていましたが、やがて急速に普及し、世界各国に輸出されるようになりました。そして、21世紀初頭の現在でも、その生産は続けられているそうです。

そのコーネリー機で作られるレースが「コーネリー・レース(Cornely lace)」です。
チュール地の他、軽やかで薄いリネンやコットン・ローンに、繊細ながらも大胆なデザインのチェーンステッチがコーネリー機によって施されています。「ローン(Laon)」は、細い糸でやや粗めに織られた薄い平織りの生地のことで、光を通すと模様が際立って美しいため、大ぶりのカーテンやデュヴェカバー(ベッドの掛け布団カバーに当たるもの)などに使われます。 機械を使用するとはいえ、全自動ではなく手動のため、膨大な手間と時間を掛けて作られる人気の高い高級レースです。

レース織機はリバー織機の登場以降、様ざまな改良機種が登場しますが、イギリス、フランスに続いてドイツが機械レース市場に参戦してきます。

1855年にRedgate(詳細不明)が、円形織機と経糸織機を組み合わせた「ラッシェル・フェリックス(Rachel Félix)」という名のレースのストールを編むための機械を開発し、ヴィルヘルム・バルフス(Wilhelm Barfuss)というドイツ人が、1859年にそのRedgateの機械を改良して開発したのが「ラッシェル織機(Raschel machine)」です。

「ラッシェル・フェリックス」というのは当時悲劇女優として国際的にも人気だったフランス女優の名前で、彼女がショールを愛用していたことから名付けられたようです。

ちなみに、ラッシェル織機で作られたチュール生地は「ラッシェル・チュール」と呼ばれ、機械チュール生地は、この「ラッシェル・チュール」と前回お話したジョン・ヒースコート以降のボビネット織機で作る「ボビネット・チュール」の2つに大別することができます。

そのラッシェル織機で編んだレースは「ラッシェル・レース(Raschel lace)」と呼ばれており、編みながら柄を出し、薄く平らな仕上がりが特徴です。薄くて平らなため、ギャザーを寄せて華やかなフリルで使用するのに適しています。

早いスピードで編まれるため大量生産ができ、値段が安価なので、庶民の衣服を飾るレースとして世界中で愛用されています。 この安価なラッシェル・レースの登場で、それまでの機械レースの代名詞とも言えるリバー・レースは、やがてその市場を奪われていくことになります。

ラッシェル・レース【Raschel lace】

ラッシェル編機で編んだレースのこと。編みながら柄をだしてあり、1分間に40目という早いスピードで編まれるため大量生産ができ、値段が比較的安価である。以前は伸びるという欠点があり、たんにのりで固定したりしていたが、一度洗たくするとだめになってしまうことが多かったが、最近では特殊加工が発達しこの心配もなくなった。素材としては、ナイロン、木綿、レーヨン、ポリエステル、毛などが使われ、茶羽織(ちゃばおり)、婦人服、下着の縁取りなどに用いられている。一見リバー・レースに似ているが、リバー・レースの方が基礎の網目変化が多い。

フランスのコーネリー機のような刺繍機を使った機械レースで、もうひとつご紹介しなければならないレースがあります。
1883年にドイツで開発された「ケミカル・レース(Chemical lace)」です。
開発当初は、コットンなどの基布に刺繍機で模様を刺繍した後、特殊な化学薬品で基布を溶かして作っていたのでこの名が付けられましたが、今では、お湯で溶ける水溶性の糸で織られた基布を使用しています。

ケミカル・レースの模様は立体的でデザインの自由度も高く、他のレースとは異なり、細かくカットして使えるため、小物や洋服のなどにワンポイント的に使ったり、縁飾りなどによく使われます。 最近はその華やかさから、和装にも用いられているそうです。

ケミカル・レース【Chemical lace】

チュールを模した特殊な刺繍(ししゅう)レースで、機械編レースの中でもっとも手編の感じにちかいもの。絹地や水溶性の生地に木綿、レーヨン、毛、ナイロン、テトロン糸をエンブロイダリー・マシーンで立体的に刺繍し、特殊な化学薬品で基礎の布だけをとかしてつくられる。そのあとに残る立体的な美しいレース模様はたいへん豪華であり、ちかごろでは服地ばかりでなく和服用ショールなどにも使用されている。高級品には大きな模様を一つのモチーフにしたアプリケ用などもできており、ブラウスの胸やドレスの裾などにちらすのにも用いる。このレースは裏打ち布によっても違った感じがでてくる。

機械が登場すると、機械化の勢いは一気に加速し、19世紀末には「レース」といえば「機械レース」というほど、機械レースが興隆します。

特に1868年にフランスのオート・クチュールが誕生すると、機械レースがファッション界で高く評価され、頻繁に取り入れられるようになる契機になりました。
1920年代から特にレースが好んで使われ、チュールのドレスの裾にレースのフリルを付けるファッションが流行しました。そして1930年代に、機械レースは黄金期を迎えます。
1950年代や60年頃になるとディオール、シャネル、ジバンシィ、サンローランといったトップ・メゾンのデザイナーたちによって、レースをふんだんに用いたカクテル・ドレスやイブニング・ドレス、ウェディング・ドレスが作られるようになります。

1960年代にプレタポルテが誕生すると、レースはさらに人気を高め、多くの人のファッションを彩るようになりました。 (オート・クチュールとプレタポルテについては、「コレクション」をご参照ください)

少し素材のお話もしておきましょう。
機械レースの素材には、もともとシルクやコットン、毛など天然素材の糸が使われていましたが、1950年代以降は、新開発されたナイロンやレーヨン、ポリエステルなどの化繊糸が取り入れられ、現在はほとんど化繊糸で作られています。
そのため洗濯にも強くなり、扱いやすくなったことにより、ますますその需要は高まります。
ウェディング・ドレスやヴェール、ランジェリー、家具カバー、カーテンなどに広く用いられました。

1980年代の始めにはおもに下着用に使われるストレッチ糸が導入され、さらにその用途が広がります。
このストレッチ糸で作られた総レースの下着は、エレガントでセクシーさもある上、とても肌触りが良く快適なため、ここ数年、日本でも大ブームですよね。素敵なデザインのものがたくさん出てきており、いざ買おうと思っても目移りしてなかなか決められなく、結局買いそびれたりして(汗)。

日本でも文明開化とともに洋装化が広まり、レースの需要も高まってきた1920年代にレース機が輸入され、1938年にはドイツから刺繍機が輸入され、本格的な機械レース産業が始まりました。
第二次世界大戦後の1950年代には高度経済成長の流れを受けて規模が一気に拡大し、ついには輸出入のバランスが逆転し、国産のレース織機も製造するまでに発展します。

けれども、1973年のオイルショックによる景気の悪化に加え、中国などから安価なものが入ってくると、国内のレース生産は減少傾向になっていきます。現在は数少ない職人が日本の質の高いレース作りを守ろうと、使命感を持って生産されていますが、実はリバー・レースの世界シェア1位の企業が日本にあるとのこと!驚きですよね。

兵庫県宝塚市の「栄レース」は、1958年、英国から2台のリバー織機を購入した現会長の土井一郎氏が創業したリバー・レース製造会社です。
リバー・レースの生産は手作業の割合が大きく、使用する糸の本数もラッシェル・レースの倍近くあり、高い技術が求められますが、栄レースが作るリバー・レースは、その品質の高さから世界のトップ・メゾンや高級下着ブランド御用達となり、非常に高い評価を得ています。

現社長のインタビューによると、最盛期には世界で約4000~5000台が稼働していたと言われるリバー織機ですが、現在世界中で稼働しているリバー織機は約150台ほどと考えられるそうで(※「レース(17)」とデータが少し異なります)、そのうちこの栄レースが半分以上の87台を所有して稼働させているそうです。すでにリバー織機自体の製造が終了しているので、どのメーカーでも新しくて30年以上前、古くは100年以上前に製造された機械をメンテナンスしながら大事に使われているそうです。

大量生産できない上に膨大な人材育成の手間と時間とコストがかかるにも関わらず、世界からのニーズに真摯に応え、また、芸術の域でもあるリバー・レースの伝統と技術を守り伝えていこうという姿勢には、尊敬の念とともに、応援したい気持ちが強くわいてきます。

レース織機は現在まで様ざまな改良が積み重ねられ、アランソン、アルジャンタンといったニードル・レースやシャンティイ・レースなどのボビン・レースなど、繊細さを極めるような芸術的レースも含め、あらゆる種類のレースを正確に模倣できるようになり、もはや「模倣できないレースはない」とまで言われ、手工レースと見紛う機械レースもたくさんあります。

シンプルなデザインのトーション・レース(「レース(13)参照)にいたっては、手工か機械かプロでも見分けがつかないものが多いそうです。

また、緻密で複雑なデザインでも短時間に生産できるようになったことで、流行の変化にもすぐに対応できるようになりました。

そして何よりもファッションの世界にとって喜ばしいのは、短時間に大量生産できるようになったため、高品質のものでも比較的低価格で供給できるようになり、かつては貴人たちだけのものだった貴重な憧れのレースが、世界中の庶民の手に届くものとなったことです。
私たちが今のようにレースを気軽に楽しめるのも、レース織機がこの世に登場したからだと思うと、レース織機を開発した偉大な開発者たちに感謝ですね。

さて、次回はみなさんのよく知っている”あのレース”をご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。