ファッション豆知識

ネクタイ(1)

4月に入り、新年度を迎えました。

新しく学生、社会人になって、制服やビジネス・スーツを着用する生活を始めた方もいるでしょう。
学生服やスーツを着用するにあたって、慣れないネクタイに毎朝苦戦している人もきっといますよね。最近は、着脱が簡単な首にかける部分がゴム仕様のものもあるようですが、多くの人は細長い布のネクタイを結んで着用していると思います。大丈夫です。毎日やっていると、そのうち寝ぼけていても結べるようになりますから、今上手くできなくても安心してくださいね(笑)

そんなわけで今回は、「ネクタイ」のお話をしてみたいと思います。

現在私たちは、洋装において首またはの周りに装飾として巻く細長い帯状の布を総称して「ネクタイ」と呼んでいます。

「ネクタイ」はもちろん英語の「necktie」から来ている言葉で、「neck(首)」+「tie(結ぶ・締める)」で「首に結ぶ・締めるもの」という意味になります。

日本でも昔、ネクタイは「襟締(えりじめ)」という和名で呼ばれていましたが、今は「ネクタイ」という呼称が一般化しており、この和名で呼ぶ人はあまりいませんね。
英語では単に「tie」と呼ばれることの方が多いかもしれません。日本でも最近は「タイ」と呼ぶことも増えてきたように思います。

ネクタイ 【Necktie】

フランス語ではクラヴァットゥ(cravate)という。ネックは<首>、タイは<結ぶ>の意味で、首または衿のまわりに巻いて前で結ぶ帯状の布を総称してネクタイといい、単にタイともよぶ。
<後略>

フランス語ではネクタイは「cravate(クラヴァット)」と呼びます。
・・・ん?この名前、どこかで聞いたことがありますね!

この絵を見て思い出しませんか?

そうです、「マフラー他(5)」でマフラーのルーツとしてご紹介した、あの貴族たちの首元を装飾する「cravate(クラヴァット)」(英語ではcravat)です!

18世紀末頃に「muffler(マフラー)」と呼ばれていた顔を隠す布が、クラヴァットの影響で細長く首に巻き付ける形に変化して、現在のような形状になったのでしたね。ですから、マフラーとネクタイは兄弟みたいなものなのです。

マフラー他(5)」でもお話ししたように、その起源を「首に巻くもの」とすると、エジプトやギリシャ、ローマ、中国など世界中の古代文明まで遡りますが、古代末期頃からヨーロッパではそれら首周りのアイテムは廃れ、16世紀初めになるまで、男性の服装は、首周りを見せるスタイルが主流だったようです。

そして16世紀半ばにあの巨大な「ruff(ラフ)=ひだ襟」が流行し(「えり(3)」参照)、その流行が終わった17世紀に登場したクラヴァットが、現在のネクタイの原型だと言われています。

フランスではそのまま「cravate」と呼ばれているのですね。

ネクタイ 【Necktie】

<前略>
歴史的にはすでにローマ帝国時代に当時の軍人が、フォーカル(focale)というネクタイ状の布を首に巻いて用いているが、服飾史上明らかに今日のネクタイの祖と考えられるものが登場したのは17世紀後半である。これはクラヴァットゥとよばれ、当時ロワイヤル・クラヴァットゥとよばれたフランス陸軍の傭兵が用いたものであるが、その当時まで流行していた幅の広い衿が、鬘(かつら)が大きくなるにしたがってすたれ、かわってあらわれた衿なしの丈の長いコートの衿元を飾るのに適しているとして、一般男子の間でも用いられるようになったものである。
<後略>

necktie

この「cravate」という言葉には、有名な逸話があります。

17世紀にヨーロッパで起きた30年戦争(1618年-1648年)の最中(1630年頃とも言われています)、フランス軍に招集されたクロアチアの傭兵がパリに入った際に、彼らの首に巻かれている色鮮やかな布がフランス王ルイ13世(Louis XIII,1601-1643)の目に留まりました。ルイ13世は側近に「あれは何か?」とたずねると、側近はクロアチアの兵士について聞かれたのだと勘違いして、「croate(クロアット)=クロアチア人です」と答えようとし、さらに言い間違って「cravate(クラヴァット)です」と答えてしまったそうです。
ルイ13世は、クロアチア兵の首元のカラフルな布が「cravate」だと思ってしまい、以降フランスでは、このような細長い首元を飾る布を「cravate」と呼ぶようになりました・・・

・・・実はこの説の真偽は定かではなく、ルイ13世は関係なく、パリに来たクロアチア兵の首元を飾る美しい布にパリの人びとが魅了されたのだとか、言い間違いではなく、当初は「croate」と呼ばれていたが、その後転訛して「cravate」と呼ばれるようになったとか、ルイ14世(Louis XIV,1638-1715)時代に来たオーストリアのクラヴァットゥ連隊の将兵が頭に巻いていた布がクラヴァットゥの語源であるとか、中には14世紀にはすでにフランスで「cravate」という単語は使われていた、という説もあるそうです。

クラヴァットゥ 【Cravate】

<前略>
ネクタイのこと。1656年オーストリアのクラヴァットゥ連隊の将兵が頭に巻いていた布がクラヴァットゥの語源で、これがネクタイのおこりという説もあるが疑わしい。

とはいえ、当時のクロアチア人の軍装は、首元に様ざまな色の布を巻き付けるスタイルであったのは確かで、上級将校のものは絹やモスリン製で、美しい刺繍レースの縁取りがあったり、ボタンや房で飾られた上質なものだったのに比べ、下級の兵士のものは木綿製などと差があったようです。

この布は、当時おもに頭を覆うのに使われた正方形の大きな布「カーチフ(kerchief)」だと思われ、カーチフは特にヨーロッパの女性が使い、農民の民族衣装などによく見られます。(「ハンカチーフ」参照)
この地方の民族衣装にはカラフルなカーチフを首元に巻くものが多く、軍装も民族衣装の要素を取り入れたため、このような独特のスタイルになったのです。

necktie

でも、クロアチア兵たちの首に、カラフルなカーチフが巻かれるようになったのは、民族衣装の影響だけではないようです。

NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」では、「ネクタイって、なんでつけるの」というギモンに対して「生きて帰るため」というのが答えでした。・・・え?!生きて帰るためって、どーゆーこと?!?!

どうやらそれは、当時のクロアチアでは出兵の際に、「母親などの家族や恋人など、身近な女性の服の一部を身につけていると戦争で死ぬことがない」と信じられていたため、戦士の武運と身の安全を祈る“お守り”として、各兵士が女性たちからもらった様ざまな色のカーチフを首元に巻いていたようです。

そういえば、戦さに出かける騎士に恋人の女性が「自分の身代わりに」と、自分のイニシャル入りのハンカチーフを贈る、という話が中世ヨーロッパには多くありました。(「ハンカチーフ」参照)

戦いに出る男たちと、その無事を祈る女たち。
自分が身につけるものを、自分に代わって、愛する人を護る“お守り”として渡す・・・
そんな美しくも哀しい光景は、時代が変わっても、変わらぬものなのかもしれません。

necktie

もともとは、クロアチア軍が戦っている時、その妻たちはその戦闘の様子を丘の上から見守っていたそうで、その際、自分の愛する人を判別するために装飾を施した赤いカーチフを作って、男の首に巻いたのが始まりとも言われています。ですので、今でも「クロアチアのクラヴァット」を象徴するのは「赤いクラヴァット」なのです。

今やクラヴァット=ネクタイは、クロアチアのシンボルとして世界的に知られています。特に独立後のクロアチアは、「西欧諸国の一員」というイメージを定着させる目的で、「ネクタイ発祥の地」というイメージで広報活動を世界的に行っていて、ネクタイはクロアチアのお土産品としても有名です。 また2008年には、Academia Cravatica(アカデミア・クラバティカ)という文化遺産としてのクラヴァットの研究、保存、普及を目的とする国際的な中心機関によって、10月18日が「World Cravat Day(世界クラヴァット・デー)」に制定されています。その記念として作られた赤いネクタイは、シンボルマークにも使われています

necktie

今回は、フランス語で「ネクタイ」を意味する「ネクタイの祖」、cravate(クラヴァット)のお話をしましたが、クロアチアに起源があるとは意外でしたね。

さて、次回からは、このクラヴァットがフランスやイギリスで発展していく様子を追ってみたいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。