![豆知識 ネクタイ](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2024/05/necktie_3_01_2.webp)
バラの美しい季節になりましたね。
「バラ」というと思い出されるのが、フランスのヴェルサイユ宮殿。
『べルサイユのばら』という人気漫画が頭に浮かぶ人もいると思いますが、実際にフランスは、古くからバラが愛されてきた国です。
18世紀ヨーロッパのファッション・リーダー、王妃マリー=アントワネット(1755-1793)は、バラとともに描かれた肖像画でも知られるように、バラを愛でた貴人のひとりです。彼女が愛したヴェルサイユ宮殿の離宮「プチ・トリアノン」では、今もなお、あちらこちらに咲く可憐なバラが人びとの目を愉しませています。
王妃亡き後も、フランス皇帝ナポレオン1世(1769-1821)の妻である皇后ジョゼフィーヌ(1763-1814)もバラを愛しました。
彼女たちの名前を冠したバラがありますが、もうひとりバラの名前になっている国王がいます。それは、ヴェルサイユ宮殿を建設した「太陽王」ことルイ14世(1638-1715)です。前回、この国王が好んで豪華なクラヴァットを着用したことが流行のきっかけとなった、というお話をしましたが、華やかさを好んだルイ14世もきっとバラ好きであったことでしょう。豪華なクラヴァットを復活させたナポレオン1世にも、愛用していた帽子に形が似ているということで、「ナポレオンの帽子」という意味の「シャポー・ド・ナポレオン(Chapeau de Napoleon)」というバラがあるそうです。
この時代のクラヴァットは、バラと同様、華やかさの象徴だったように思います。
![豆知識 ネクタイ](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2024/05/necktie_3_02.webp)
さて、前回、ナポレオン1世がイギリス・オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍に大敗した「ワーテルローの戦い(1815年)」で失脚して以降、「cravate(クラヴァット)」は英語の「tie(タイ)」と呼ばれるようになった、と書きましたが、クラヴァット自体がイギリスに伝わったのはもっと前で、豪華なクラヴァットを流行らせたルイ14世(1638-1715)の時代のことです。
伝えたのは、イングランドの国王チャールズ2世(Charles II, 1630-1685)です。
チャールズ2世は、国内の内戦であるピューリタン革命により、1646年16歳の時に亡命を余儀なくされ、ヨーロッパ各国を移り住んでいましたが、フランスにいた際に、当時大流行していたクラヴァットに魅了されます。「Get me a cravat or I shall die!(クラヴァットを持て、さもなくば私は死ぬ!)」と言ったという逸話さえあるようです。
そのチャールズ2世が、1660年に王政復古の実現のためロンドンに戻り、その際にフランスのクラヴァットを伝えたのです。
![](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2023/11/vest_2_04.webp)
チャールズ2世といえば、現代のスリーピース・スーツの原型を生んだ「衣服改革宣言」を発令した人でしたね。(「ベスト(3)」参照)
1666年の「衣服改革宣言」は、「簡潔な服装こそが洗練さを生む」という考えで、それまでの派手さを極めていた衣服を改め、「コート(ジャケット)+ブリーチーズ(半ズボン)+ウエストコート(ベスト)+シャツ+クラヴァット(タイ)」というシンプルなスタイルを推奨しました。これが今日まで続く伝統的なイギリス紳士のスタイルの元となりました。
当時のフランスと同様、イギリスでもクラヴァットは首の周りに2回以上巻き、端をシャツの胸部に垂らすのが定番スタイルでしたが、クラヴァットをイギリスに持ち込んだチャールズ2世の説明に、「クラヴァットとは、首の装飾品の一種で、長いタオルを襟にかけ、前で蝶結び(ボウノット)で結んだものにほかならない」といった説明もあるようなので、シンプルな細長いクラヴァットを蝶結びにした襟元を少し華やかにしたスタイルなど、いくつかのヴァリエーションをもって、紹介されたのかと思われます。
![豆知識 ネクタイ](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2024/05/necktie_3_04.webp)
素材は、ルイ14世が好んだような豪華なレース製のものもありましたが、イギリスではフランス以上にレース製のクラヴァットは貴重で、王族などごく一部の貴人しか所有できませんでした。ちなみに、チャールズ2世の弟で、王を継いだジェームズ2世(James II, 1633-1701)が戴冠式用のクラヴァットのために36ポンド10シリング払ったという記録が残っているようですが、当時の1ポンドを現在の金相場でざっくり日本円に換算すると、92,500円くらいのようですので、92,500×36.5=・・・!!その高価さに驚いてしまいます。
こちらの肖像画は、ジェームズ2世を追放して王座についた甥のウィリアム3世(William III, 1650-1702)のものですが、その首元にも高価なレース製のクラヴァットが描かれています。
イギリスの国王の肖像画を並べてみると、チャールズ2世以前のものの首元は、ラフなどの豪華な襟が描かれており、チャールズ2世以降では、それがクラヴァットに変わっているのがよくわかります。首元に着目して肖像画を見るのも面白いですね。
![豆知識 ネクタイ](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2024/05/necktie_3_05.webp)
王族などでない限り、クラヴァットの素材は高価なものは絹やビロード、一般的には丈夫な綿のモスリンなどで、白や黒、その他の色の無地のものが主流でした。
フランスでは、革命時に幅広のスカーフタイプが復活したり、ナポレオン時代に装飾的なクラヴァットが復活したり、時代によって流行が動きましたが(「ネクタイ(2)」参照)、イギリスではクラヴァットは、チャールズ2世の「衣服改革宣言」によって生まれた紳士の定番スタイルの一部として発展したため、スリーピース・スーツに合うような細長いものが多かったようです。
そのため、多種多様の結び方や着用方法が生まれました。
おしゃれな人は、フリルのある白いジャボの上から、黒い細長いクラヴァットを重ねて巻くなど、新しい着用方法を次々と生み出していきました。
![豆知識 ネクタイ](https://www.shibuya-and.tokyo/contents/wp-content/uploads/2024/05/necktie_3_06.webp)
18世紀半ば以降、ギリシャやローマの古典芸術の復興ともいえる「新古典主義」ブームやフランス革命で、ファッションも時代の流れに合わせて変化していきました。
男性のコートはどんどんシンプルになり、ウエストコート(ベスト)は袖が無くなり現在のような形になりました。(「ベスト(6)参照」)それまでのブリーチズ(半ズボン)はトラウザーズ(長ズボン)になり、カツラとストッキングなども無くなっていきます。
それでも、首元のクラヴァットは変わらなかったというのは、コーディネートする他のアイテムが変わっても、対応できるヴァリエーション力があったからでしょう。
イギリスのクラヴァットは、ルイ14世の豪華さの象徴とはまた違う、紳士服の定番としてヨーロッパ中に広まっていったのです。
次回は、フランスからイギリスに舞台を移した男性ファッションの流行とともに、クラヴァットの発展をみていきたいと思います。お楽しみに。