ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(10)

前回はエンブロイダリー・レース(刺繍レース)やアプリケなど、「刺繍」という認識があまりなかった刺繍を少しご紹介しましたが、本当に刺繍の種類は多く、ちょっとこのコラムではご紹介しきれないほどあります。

この数え切れないくらいの種類の刺繍を、「新・田中千代服飾事典」では下記のように分類しています。

① 土台に使われる素材と刺す素材によるもの
② 刺す方法によるもの
③ それが発生した国、あるいは地方名のついたもの
④ 時代別によるもの
⑤個人の名前がつけられたものなど

刺繍(1)」では、刺繍には人の手で行う「手刺繡(てししゅう)」と、機械を使用する「機械刺繡」、剣山状のを使って布に糸を埋め込む「パンチ・ニードル刺繍」という大きな方法の違いで分けられ、手刺繍ひとつとっても、使用する布や針、糸の素材で風合いが変わることをお伝えしました。

刺繍(2)」では、刺す方法、すなわち「ステッチ」の種類について少しお話しました。

刺繍(3)」以降は、日本を含めた世界の様ざまな刺繍を歴史的、民族的、地域的にみてきました。

エンブロイダリーEmbroidery

– 種類 –

エンブロイダリーの種類は多く、さまざまの名称がつけられているが、同じものでも素材や、技法によって異なったよび方が用いられる場合が多い。 エンブロイダリーの種類を分類すると、①土台に使われる素材と刺す素材によるもの、②刺す方法によるもの、③それが発生した国、あるいは地方名のついたもの、④時代別によるもの、⑤個人の名前がつけられたものなどにわけることができる。 ①の素材による例として は、土台になる布がキャンバスやチュールであれば、キャンバス刺繍、チュール刺繍といったよび方が用いられ、②の技法による例としては、土台の布を切って図案をあらわすカット・ワーク、あるいは柄の外部をたどって刺繍をほどこすアウトライン・エンブロイダリーなどが、 ③の地方別にしたがえば、日本刺繍、フランス刺繍、スウェーデン刺繍、ペルシア刺繍などのように、それぞれがおこり、とくに行われた国や地名 のついたものが、④の時代の特徴をあらわすものとしては、華麗なロココ・エンブロイダリーや中世ふうのメディーバル刺繍といったものが、そして、⑤の人名エンブロイダリーのよび名となったものとしては,ホルバインの絵によくみられるホルバイン・ワークといった例をあげることができる。婦人服の装飾の中で刺繍はもっとも美しいものの一つで、刺繍を加えることにより、その服に優雅さや、豪華さ、かれんさ、清純さ、牧歌的な野趣など、いろいろな異なった表情を表現することができる。またその使用する素材で服を一変するといった魔術をももっている。たとえば白のサテンに真珠の刺繍をすれば、優雅な豪華さを、毛のスカートに犬やクマなどの形をアプリケすれば、無邪気な子どもらしさを、毛糸で花などを刺繍すれば牧歌的な風情を、それぞれ表現することができる。刺繍を加えることは、1枚の画面に仕上げとしての最後の強いタッチを入れるようなものである。その材料、色彩、方法、ムードには十分の注意が必要である。エンブロイダリーは通常<刺繍><縫取>などの意味とされるが、その範囲はきわめて広く、ステッチやレースと区別しがたい場合も多い。すなわち一つの刺し方、 あるいはエンブロイダリーとしてのひと刺しは、むしろステッチと考えたほうが適当であるし、 全面に広がったチュール刺繍や、カット・ワークは、レースと考えることもできるのである。さらにカット・ワークなどは、そのできあがったものについてはエンブロイダリーの名称が付されるが、制作の過程においては、布を切る(カットする)ことも含まれ、縫い取り作業にのみ終始していないことから、大きな意味をもつワークの語があてられる。したがってエンブロイダリーをとりあげる場合、同時にステッチ、レースなどについての研究も必要になってくる。

<後略>

でも、なんといっても刺繍の本場といえば、ヨーロッパです。

刺繍(2)」では、古代ローマで発展した刺繍が、織物貿易が盛んに行われる中でヨーロッパ各地に波及し、特にキリスト教会で大きく発達し、宮廷や教会芸術の一端となったとお話しました。
長い間、刺繍は特権階級のものでしたが、やがて、上流階級の女性のたしなみとして、その技術が広まったそうです。

そしてヨーロッパ刺繍といえば「フランス刺繍」。
多くの種類がある中でも基本とされ、ヨーロッパ刺繍の総称としても知られています。英語で「刺繍」を意味する「Embroidery」は、もともと中世フランス語で「縁の内側を装飾する」という意味の「embrouder」に由来する言葉だそう。
日本では、明治時代に伝わったものがフランス刺繍だったために、外国刺繍全般を「フランス刺繍」と呼んでいます。

映画などでもよく、上流階級の女性が上品で可愛らしい花などのフランス刺繍をしているシーン、見かけますよね。

フランス刺繍は、他の民族で多く見られるような幾何学模様や図案化された図柄ではなく、や鳥などの自然が繊細に絵画的に描かれることが多く、その丁寧で上品な仕上がりゆえ、世界中から愛されている刺繍です。

は、繊細で豊かな表現ができるよう、一般的な縫い針のように先が尖っているフランス刺繍針を使います。先が尖っているので刺す布の種類を選ばず、様ざまな用途のものに施すことができ、その利便さも人気の高さにつながっているのではないでしょうか。

また、絵柄の自由度が高い分、それを表現するために、ランニング・ステッチ、アウトライン・ステッチ、チェーン・ステッチ、サテン・ステッチ、バリオン・ステッチといった基本ステッチの他、多くの種類の技巧的なステッチを駆使します。そのためフランス刺繍は、刺繍上級者はもちろん、多くのステッチを学ぶという意味では、初心者にとっても適した刺繍といえるでしょう。

フランス刺繍も、これまで見てきた他の国の刺繍と同様、その中でも地域ごとに特色のある刺繍がたくさんあります。

有名なものでは、1800年代にフランスのリュネヴィル(lunéville)という街で発祥した「リュネヴィル刺繡」というビーズやスパンコールを使った華やかな刺繍があります。

リュネヴィル刺繍は「クロシェ」という特殊なかぎ針を使って、あらかじめ糸が通されたビーズやスパンコールを生地の裏側から刺すのが特徴的な刺繍ですが、通常のを使ってビーズなどを刺繡するよりも速く、美しく刺すことができるのだそう。
もともとは薄いコットン・チュールの生地の裏側から針を刺して、レースのような模様を描いていたそうです。

当初はおもに聖職者が着用する法衣や洗礼時に着せるドレスなど、宗教的な用途で作られていたようですが、やがてその技術の高さと美しさが評価されて、この街の特産手工芸品になり、後に、オート・クチュールのドレスなどで使われる「オート・クチュール刺繍」として発展しました。オート・クチュール以外にもウェディング・ドレスや舞台のコスチュームで見かけられるちょっとゴージャスな刺繍です。

「オート・クチュール」については「コレクション」の回も参照ください。

フランスで有名な刺繍、というと、フランスのノルマンディー地方のバイユー(bayeux)という街に、「バイユーのタペストリー」という、ノルマンディー公ウィリアム1世によるイングランド征服の物語が描かれたタペストリーがあります。
「タペストリー」は壁掛けなどに使われる室内装飾用織物の一種のことなので、正確にいうと織物ではなく刺繍であるこの「バイユーのタペストリー」は、その形状から通称「タペストリー」と呼ばれているようです。

その大きさはなんと全長約70m!(肝心の王の戴冠というラストシーンが欠損しているため、現存するのは63.6m)
この壮大な長編絵巻刺繍物語には1500のモチーフがあり、約600人の人物、馬約200頭、その他様ざまな動物が約500匹、樹木が約50種類ほど描かれているそうです。
ちなみに、この刺繍の複製に挑む好事家もいて、5年半、毎日3~4時間を費やしても、まだ半分しかできないくらいなのだそう。気の遠くなるような作業です。

これだけの大作なのに、なんと4種類の簡単なステッチしか使われていません。
おもに輪郭など線は「ステム・ステッチ」で描き、「バイユー・ステッチ」で面を埋め、「チェーン・ステッチ」は線を強調し、チェーン・ステッチに似た「スプリット・ステッチ」でも線や面を描いています。

素材は、薄いリネン()地にウール糸が使われているそうですが、そのウール糸のもたったの10色しか使われていないそうで、しかもその10色は、3種類の植物から染められているのだとか。
11世紀に作られたこの刺繍タペストリーが、1000年の時を超え、また数々の戦禍や消失の危機を乗り越え、21世紀の今まで美しい姿で残っていることから、「奇跡の刺繍」と呼ぶ人もいますが、この植物染料で染められた色が、今でもほとんど褪せることなく残っているというのも、まさに「奇跡」ですよね。
2020年1月にこのタペストリーの点検作業があり、2024年から2年間をかけて、本格的な修復作業が行われることになったそうなので、2026年にはさらに美しく蘇った姿を見られるでしょう。楽しみですね。

余談ですが、このタペストリーには、1066年4月にイングランドで見られたハレー彗星が描かれており、ハレー彗星を明記した最古の文献でもあるそうです。
興味のある方は、ぜひこちらのサイトで拡大しながら、その素晴らしい刺繍を堪能してみてくださいね。

バイユー・タピスリー美術館(Musée de la Tapisserie de Bayeux)

花柄が多い優雅で可愛らしいフランス刺繍。
せっかく春が来たのですもの、普段使っているハンカチーフやポーチなどの小物やシャツやブラウスの元に、ワンポイントのフランス刺繍で、春を身につけてみませんか?
ぐっと春気分が高まると思いますよ。

次回もヨーロッパの優雅な伝統刺繍をご紹介します。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。