ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(11)

ヨーロッパの刺繍は、上流階級の女性のたしなみとして広まった一方、その精巧で絵画的な技術は、前回ご紹介した「バイユーのタペストリー」のように、専門の職人や芸術家の手による芸術文化のひとつとして発展してきた側面があります。
一見、絵画と見紛うほどの完成度のものも、ヨーロッパ製のアンティーク品でしばしば見かけます。

絵画的な刺繍として有名なものに「プチ・ポワン (Petit Point)」という刺繍があります。
タペストリーに用いられた、人物や風景を精巧に織り込んだ「つづれ織り」の一種である「ゴブラン織り」を模した刺繍の「ゴブラン刺繍」という手法が15-16世紀に登場し、絵画的な図柄のテーブルマットや椅子、壁掛けや羽目板など、様ざまなものに施されていました。
このゴブラン刺繍が発展し、洗練されたものが「プチ・ポワン」です。

絵画的な刺繍のプチ・ポワンは、拡大鏡を使用して刺すくらい目が細かいのが特徴です。
仕上がりは一見「目の細かいクロス・ステッチ」という感じですが、クロス・ステッチと同じくカウント・ステッチの一種である「テント・ステッチ」という刺繍法で刺されています。
「カウント・ステッチ」とは、図案を布に写さずに、布目を数えながらそのまま刺繍する技法のことです。その他にもスウェーデンの伝統刺繍「ツヴィスト刺繍」、「ニードル・ポイント」、そしてこの「プチ・ポワン」など、様ざまな種類のカウント・ステッチがあります。

「プチ・ポワン」という名からはフランス発祥の刺繍のように思えますが、実は18世紀のオーストリア発祥の伝統刺繍です。
18世紀のオーストリアというとあのフランス王妃マリー・アントワネットの母マリア・テレジアが君臨していた時代で、プチ・ポワンは彼女をはじめとしたハプスブルク家の女性たちに愛されました。マリア・テレジアを描いた肖像画には、豪華なレースや宝石などの装飾品と一緒に、プチ・ポワンの刺繍が描かれているそうです。

もちろんその娘のマリー・アントワネットも、この優美な刺繍をこよなく愛し、フランスに嫁いだ後は、フランスの宮廷でプチ・ポワンを広めていったのだと思われます。
なかでも当時、彼女たちの心を奪っていたのが、この刺繍があしらわれたフォーマル・バッグでした。口金に宝石類を贅沢に使い、宮廷絵画などをプチ・ポワンで描いた優美なフォーマル・バッグを持つことは、王族や貴族たち宮廷人たちのステイタスだったそうです。
プチ・ポワンはこのロココ時代の宮廷文化を花開かせた女性たちによって、より洗練され、その優美な輝きを増していき、その他のヨーロッパ王朝の宮廷に広がっていきました。

プチ・ポワンは、貴婦人たちのドレスやハンドバッグなどの身につけるものだけでなく、家具やテーブルマット、壁掛けなどの室内装飾などにも使われました。
マリー・アントワネットも、自らのドレスのみならず、ヴェルサイユ宮殿やトリアノン王宮の調度品にこのプチ・ポワンを頻繁に使用しました。

すでに17世紀頃のフランス宮廷を中心としたヨーロッパ王朝の宮廷では、刺繍は衣装だけでなく、装飾品や家具などにも多く使われていましたが、それは刺繍が手間とお金がかかる贅沢品だったため、「権力と富の象徴」となったからです。

刺繍が「権力と富の象徴」という特権階級のものとして発展した例が、これまでご紹介してきたインドや中国、日本などの東洋でもありましたが、絶対王政期のヨーロッパは、まさに刺繍文化が宮廷の財力で花開いた時代でした。

現在でも見られるこの頃のヨーロッパの刺繍は、手工芸品というより芸術品として高い価値があるものばかりです。プチ・ポワンに限らず、本当に心震えるほどの美しさのものばかりなので、みなさんにも機会があればぜひ見て欲しいな、と思います。

エンブロイダリーEmbroidery

-種類-

<前略>

エンブロイダリーは衣服のみならず、テーブルクロス、クッションなどの装飾品から壁掛けや額絵などにまで古くから応用され、美術品として高い価値をもつものも多い。

しかし、18世紀半ば頃からヨーロッパでは産業革命が起き、様ざまなものの生産過程が大きく変革しました。特に織物産業は鉄鋼業などに並んで劇的に生産量が増大し、ファッション史においては重要な転機となりました。
「刺繍(9)」で「機械刺繍」をご紹介しましたが、自動で刺繍ができる機械が産業革命の初期に発明されると、それまで膨大な手間と時間がかけられていた刺繍が簡単に安価で量産できるようになり、貴重で一部の上流階級の人間しか持てなかった刺繍製品が、広く普及するようになりました。

また、18世紀の終わりに市民革命などで絶対王政が倒れ、王族、貴族たちによる華やかな宮廷文化も終焉を迎えると、美術品のような豪華な刺繍は衰退していき、反対に手軽な手刺繍が一般人の間に広がっていきます。

エンブロイダリーEmbroidery

– 歴史 –

<前略>

中世期末からルネッサンスへかけては、一般にも行われ、17世紀にはフランスのルイ14世の宮廷を中心に、衣服、カーテン、家 具などに盛んに用いられている。近世になると、刺繍工芸がしだいに工業化し、一方、宮廷、聖堂での需要も減って、美術品としては衰退していった。しかし民間の手芸としては各国に広まり、民俗衣装などにその美しさをみることができるまでになった。一方,東洋では唐(618~907年ごろ)にペルシアから伝えられ、日本へは仏教伝来とともに伝わったといわれる。

このように中世以降、ヨーロッパの刺繍はおもに権威を象徴するために、教会や宮廷における美術的価値をもった「芸術」として発展してきた側面があります。
けれども、市民革命などにより一般の人たちが抑圧から解放され、産業革命で社会構造が変わると、刺繍は一般の(といっても最初は上流階級の)女性のたしなみとして普及しました。

ヨーロッパに広まった刺繍が、やがて明治時代の日本に伝わりました。初めに入ってきた刺繍がフランス刺繍だったために、今でも日本では外国刺繍全般を「フランス刺繍」と呼んでいるというお話は前回しましたね。

日本にはもうひとつ、インド、中国から仏教画のひとつとして伝わった刺繍があり、そちらは日本独自の「日本刺繍」として発展していきました。(「刺繍(4)」参照)

これだけ人びとの歴史と密接に発展した刺繍。
ひとつの「文化」として認識される所以が、とてもよくわかります。

さて、いよいよ次回で刺繍のお話は最後です。
最後にはまた、これまでご紹介しなかった地域の素敵な刺繍をご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。