ファッション豆知識

レース(10)

まもなくハロウィンですね。街中がハロウィン・グッズであふれています。

ハロウィンでもレースは大活躍。蜘蛛の巣模様のレースやゴシック調のレースなど、雰囲気を盛り上げるレースがたくさんあります。
総レースのアイマスクなどクラシックなアイテムは、ミステリアス度も高く、ちょっとオトナのハロウィンを演出できますよ。
ぜひ、今年のハロウィンはレースを活用して、オシャレ度の高いコスチュームや飾り付けを楽しんでくださいね。

さて、前回は、ボビン・レースの発祥から黄金期までの発展の歴史を見てきましたが、その発展の過程で、様ざまなデザインとともに新しい技法も生まれました。

ボビン・レースの種類もニードルポイント・レースのようにたくさんありますが、だいたい技法の違いで2分類できます。
初めから終わりまで連続した糸で地とモチーフを編み上げていく「連続式(Continuous form)」と、モチーフを別に作って後からつなぎ合わせる「非連続式(Non-continuous form)」です。「連続糸技法」「非連続糸技法」とも言われます。
発祥した当初はすべて連続式でしたが、レースの需要が大きくなった17世紀には非連続式の技法が考えられ、分業による生産効率化を実現し、デザインもより自由で独創性に富んだものが表現できるようになりました。

連続式で作られたレースは、長い糸を用い、多くのボビンを使って織り上げる繊細なレースで、「ストレート・レース(Straight lace)」と呼ばれています。
柄の部分の織り地が常に地模様と平行で、裏表の差が出にくいことが特徴です。
使用する糸の細さとボビンの数でレースの幅が決まりますが、ひとつのピローにセットできるボビンの数は限られているため、あまり大きな作品は編めません。 細い糸を用いたものは高度な熟練度と膨大な時間を要するため、大変貴重で高価です。

連続式のストレース・レースの中でも、ネット地の「メッシュ・グラウンディド・レース(Mesh grounded lace:英)=チュール・レース」とニードル・レースのブリッド(バー)のような細いブレイドでモチーフがつなげられている「ギピュール(Guipure:仏)」という2つのタイプがあります。ギピュールは、「ギピュール・レース(Guipure lace)」と書かれていることも多いです。

「Guipure」という言葉の由来である「Guiper」は「撚りをかけた糸を巻き付ける」という意味があり、それはつなぎのブレイドを表しているのかもしれません。また、かつては「ギム糸(Gimp)」と呼ばれる太い糸などでモチーフの輪郭を縁取っていたようで、ギピュールは、メッシュ・グラウンディド・レース(チュール・レース)よりも、比較的立体感のある仕上がりになっています。 先にこのギピュールをいくつかご紹介したいと思います。

イタリアのボビン・レースは、16世紀にジェノヴァとミラノを中心に生産が始まりましたが、16世紀後半に登場したジェノヴァの「ジェノヴァ・レース(Genoese lace)」もギピュールのひとつです。

ジェノヴァ・レースの初期のものは、その当時主流だったプント・イン・アリア(「レース(2)参照」)を模倣したシンプルな幾何学模様のレースで、おもに当時流行の襞(ひだ)襟などの襟の縁取りに使われました。ですので、ジェノヴァ・レースは、テープ・レースとしても有名です。糸もシルク糸や金属系糸が多く使われていたので、イタリアらしい華やかなレースだったと思われます。

やがて幾何学的なデザインの一部に「Wheat ears(麦の穂)」と呼ばれる細長い葉の形をした「Tally(タリー)」という、きつめに編み込まれたブロックが配されるようになり、それがジェノヴァ・レースの特徴とされています。
糸も初めは細いものを使用していましたが、やがて太い糸が用いられるようになっていったようです。
また、初期は三角やV字模様だった部分が、1600年頃から丸いスカラップ(貝殻)模様に変化し、やがて花柄も増えてデザインは装飾性を増し、17世紀初頭にその人気は最高潮となりました。

ジェノヴァでは19世紀に入っても生産され続けましたが、やがて廃れていってしまいます。けれども、その技術が19世紀初頭にマルタに伝わり、独自の発展をとげていきました。

マルタは、シチリア島より南方の地中海の中央部にある小さな島国です。
あの可愛い小型犬のマルチーズは、「Maltese」と書きます。そう、実はここマルタが発祥地なのです。ちなみにマルチーズの発祥は意外にも古く、紀元前1500年頃とも言われており、世界最古の愛玩犬なのだそう!びっくりですね。

お話をレースに戻しましょう。
ジェノヴァのレース職人が、マルタに渡り確立したのが「マルテーズ・レース(Maltese lace)」です。日本では「マルタ・レース」「マルチーズ・レース」とも書かれています。

もともとマルタでは16世紀頃からニードル・レース作りが行われていましたが、19世紀に入って島の経済が不況になると、レース産業も一度消滅しかかってしまいます。それを危惧したハミルトン・チチェスター(Hamilton Chichester)という夫人が、1800年代半ば、ジェノヴァからボビン・レース職人をマルタに派遣しました。

当初は古いニードル・レースのパターンを使っていましたが、まもなくマルタ十字の模様を組み込んだ独自のスタイルを確立します。マルタ十字とは、キリスト教カトリック教会の騎士修道会「聖ヨハネ騎士団」(マルタに拠点を移したことから通称「マルタ騎士団」と呼ばれています)の象徴で、勲章や紋章でよく使われている十字紋様です。
また、ジェノヴァ・レースの特徴の麦の穂のタリーも施されていますが、オリジナルに比べて丸みのあるフォルムとなっています。
糸は、おもにクリーム色やブラックの光沢のあるシルク糸を使ったものが多いですが、白いコットンやリネン糸のものもあります。

1851年にロンドンで開催された第1回目の万国博覧会にマルテーズ・レースが出品されると、たちまちその人気が高まり、イギリス各地に広まります。

イギリスでマルテーズ・レースが影響を与えたものに「ベッドフォードシャー・レース(Bedfordshire lace)」があります。略して「ベッズ・レース(Beds lace)」とも呼ばれます。

ベッドフォードシャー(Bedfordshire)はイギリス中部の地域で、もともとレースの生産地でした。
16世紀には、フランドルのレース職人がこの地域に移住していたようです。この地域に住む貧しい人たちの暮らしを支えるために、ボーン・レース(Bone lace)の技法を教えた、という記述が、16世紀頃の書物に散見されるそうです。初期のボビンが骨製だったことから、ボビン・レースはボーン・レースと呼ばれていました。(「レース(8)」「レース(9)」参照)

地元の言い伝えには、あのキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon)が、ヘンリー8世(Henry VIII)に離婚を迫られて反抗していた頃、この地域にあるアンプトヒル(Ampthill)城に短期間住んでおり、その時に村人たちにレース作りを教えたという話もあるそうです。

ベッドフォードシャー・レースのデザインにはもちろんマルタ十字はなく、ジェノヴァ・レースから受け継がれるタリーと、「クロス・トレイル(Cloth trail)」と呼ばれる流れるようなラインで花や植物などの自然主義的な模様が描かれているのが特徴です。中には、フランス・レースの特徴であるピコット(「レース(4)参照」)が付いているものもあり、人気を博した各国の様ざまなレースの特徴を取り入れているのがわかります。
糸は、白いコットン糸もしくは黒いシルク糸が使われ、ピローは、ロール型(「レース(8)」参照)が使われています。

このレースは、17世紀後半から18世紀にかけて最盛期をむかえますが、18世紀半ばには、お隣のバッキンガムシャー(Buckinghamshire)のニューポート・パグネル(Newport Pagnell)に生産の中心地が移り、周辺のノーサンプトンシャー(Northamptonshire)をはじめ、各地で作られたようです。そのスタイルは生産地、時代で変わっていったようで、ノッティンガム(Nottingham)でボビン・レース・マシンが発明されると、それに対抗して量産するためにシンプルなデザインになり、現代に至っているようです。

ジェノヴァで生まれたギピュールが、マルタ、そしてイギリスに渡り、その生産地ごとにそれぞれ独自の発展をした歴史は、興味深いですね。 次回からもしばらく、ボビン・レースのご紹介が続きますが、どうぞもう少しお付き合いくださいね。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。