ファッション豆知識

レース(6)

猛暑が続いていますが、みなさんお元気ですか?
夏休みもまだ大いに羽を伸ばせる状況ではないですが、みなさんそれぞれ工夫してリラックス&リフレッシュな日々を送られているのではないかと思います。

私は暑い日はほとんど部屋の中で過ごしてしまいますが、昔から部屋の中からレースのカーテン越しに見る夏の風景が好きなんです。夏の太陽の明るさが作る部屋の中と外のコントラスト。暑さでゆらゆらと揺れる夏の空気感、そして扇風機の微風で揺れるレースのカーテン。レース越しに入ってくる光が、なんともいえなく優しく、懐かしくて。部屋全体が昔のヨーロッパ映画のようなノスタルジーに満たされます・・・
エネルギッシュな夏ですが、こんな詩的な過ごし方もたまには良いですよ。

さて、少しおさらいしながらニードル(ポイント)・レースのお話に戻りましょう。
ヴェネツィアで始まったと言われるニードル・レースは、ヴェネツィアの商人によってフランスを始めとして、イギリス、スペイン、オーストリア、ドイツなどヨーロッパ各国へ渡り、宮殿や教会を彩りましたが、とりわけレース産業の発展を国策としたフランスで、より洗練されていきました。特に当時人気が高かったアランソン・レース(「レース(4)」参照)は、多くの国や地方のレースに影響を与えました。

ベルギーの首都、ブリュッセルの名前のついた「ブリュッセル・ニードルポイント・レース(Brussels needlepoint lace)」も、アランソン・レースの影響によって生まれたニードル・レースです。

現在のベルギーは、首都のブリュッセルを境に南部と北部に分かれており、「ブリュッセル(Brussels:蘭英)首都圏地域」とオランダ語の一種であるフラマン語が公用語の北部の「フランデレン(Vlaanderen:蘭)地域」、フランス語が公用語の南部「ワロン(Wallonne:仏)地域」の3つの地域の連邦制になっています。
「フランデレン地域」は、ファッション史や世界史を学んだ人にはフランス語由来の「フランドル地方」と言った方が馴染みがあるかもしれませんね。ですので、レース産業が興った頃のブリュッセルは「フランドル地方の南端」ととらえた方がよいでしょう。
ちなみに、英語読みだと「フランダース(Flanders)」。そう、あの「フランダースの犬」は、この地方のお話です。

この地域はもともと毛織物産業が盛んな地域で、良質な麻の産地でもあったため、麻糸を使うレース産業もイタリアのヴェネツィアに劣らず発展していました。
特にこの後の回でお話する予定の「ボビン・レース(bobbin lace)」では、その高い技術と美しいデザインで世界を席巻していました。
それゆえ、単に「ブリュッセル・レース(Brussels lace)」というとボビン・レースのものを指すのが一般的ですが、中にはニードル・レースなども含めてこの地域で作られたレース全般を指すこともあるので、アンティーク・レースとして購入する際は、その技法を確認された方がよいでしょう。多くの場合、このボビン・レースと区別するためにニードル・レースの方は「ブリュッセル・ニードルポイント・レース」と表記されているようです。

ちなみに、1830年にベルギーが独立国家となるまでに作られたレースを「フランドル・レース」、以後のものを「ブリュッセル・レース」と呼んでいる場合もあるそうです。ブリュッセル・レースに関しては、この地域の激動の歴史ゆえ、なかなか複雑ですね。

フランドル地方は、ヴェネツィアと同じくレティセラなどのエンブロイダリー・レース(刺繍レース)の時代から盛んにレースを作っていましたが、ヴェネツィアの重厚なものに比べて軽くしなやかなのが、この地方のレースの特徴です。ですから、立体的な作風のヴェネツィアがニードル・レースを発展させたのに対し、フランドルでは軽くしなやかなボビン・レースの方が発展したのでしょう。
ニードル・レースも17世紀半ばまでには、ボビン・レースのデザインを活用したフランドル独自のスタイルが生み出されていたようです。

アンティーク・レース愛好者の間で「アングルテール」と呼ばれている「ポワン・ダングルテール(Point d’Angleterre)」は、フランス語で「イギリスのレース」という意味なのでイギリス製かと思われがちですが、実はブリュッセル製のニードル・レースです。

みなさん、「レース(3)」「レース(4)」で登場したフランスの財務総督のコルベールを覚えていますか?彼によってしばしば、フランスの財政を圧迫していたヴェネツィアン・レースの輸入禁止令が出されたにもかかわらず輸入が止まらなかったため、1665年に王立のレース工房が設立されましたね。あの時フランスの財政を圧迫して輸入規制されたのは、ヴェネツィアン・レースとブリュッセル・レースでした。
需要があっても販売できない状況を打開するために、商人たちはブリュッセル・レースに「イギリスのレース」という名を付け、規制がかからないイギリス製を装ってフランスに持ち込み売りさばいたそうです。いわゆる「産地偽装」ですね。
イギリスでも1662年、自国貨幣の大量流出防止と自国産業の保護を目的としてレース輸入禁止法が成立したため、イギリスの商人たちは自国の名が付いたこのアングルテールをひそかに輸入して需要に応えたそうです。

アングルテールは、花などのモチーフ部分をボビンで、ネット部分も含めた繋ぎ部分をニードルで縫い合わせたというような、ボビン・レースとニードル・レースの混合のミックス・レースも多く作られました。
フランドル地方のレース職人たちはやがて、ニードル・レースとボビン・レースの良いところを合わせたような新しいボビン・レースの技法「ピエス・ラポルテ技法(非連続糸技法)」を開発しますが、この2つの技法の融合はフランドル地方ならではと言えるでしょう。

けれども、ニードル・レースはボビン・レースに比べ、作るのに多大な労力と時間を要したため、アングルテールもやがてボビン・レースで作られる部分が増えていきました。そのため、ボビン・レースとして扱われていることも多いかもしれません。

その他のフランドル地方のレースも同様で、ニードルとボビンのミックス・レースは、ほとんどが効率的なボビン・レースになっていったようです。
この辺が、労力や効率を問わずニードル・レースにこだわり、芸術的文化として発展させていったヴェネツィアとの意識の違いを感じさせ、それが今のオランダやベルギーとイタリアの間にも垣間見られて、面白いな、と思います。

やわらかで優しい風合いのアングルテールはフランス宮廷の貴婦人たちに愛され、特にナポレオン1世(1769-1821)の2番目の妻のマリー・ルイーズ(1791-1847)は、当時一番人気のアランソン・レースよりもこのアングルテールを愛し、数多く所有したそうです。

17世紀末になると、新興のポワン・ド・フランス(フランスのニードル・レース)がフランドルのボビン・レースを凌ぎます。「レース(4)」で少し触れたように、ブリュッセルでもポワン・ド・セダン(スダン)などのフランスのニードル・レースを模造して産業を支えていましたが、1720年頃から、人気のアランソン・レースを真似たニードル・レースが作られ始めました。

ブリュッセル・ニードルポイント・レースは、初期のものこそボタンホール・ステッチのブリッド(バー)でモチーフが繋がっていましたが、より透明性があり、しなやかなレースが求められると、1730年代にアランソン・レースのような六角形の網目のネット地「ドロッシェル/ドゥロシェル(drochel)」が開発され、以降ボビン・レースも含めてブリュッセルのレースに多用されました。

また、ボビン・レース向けの細い糸を使っていたため、アランソン・レースより軽く、やわらかな仕上がりで、軽量のしなやかなレースが好まれた18世紀から19世紀初頭にかけて評価を高めます。

この時期は、フランドル地方のレース産業の黄金期とも言え、フランスのように様ざまな地域のレースが発展し、ブリュッセルをはじめとしてその土地の名が付いたレースが多く登場しました。

しばらくブリュッセルではボビン・レースがメインで作られていましたが、19世紀半ばに非常に繊細で優雅なニードル・レース「ポワン・ド・ガーズ(Point de Gaze)」が誕生し、ブリュッセルのニードルポイント・レースが復活します。
ポワン・ド・ガーズはその名の通り、極細の上質な綿糸を使ったガーゼのような薄く軽いしなやかなレースで、「ポワン・デギーユ(Point d’aiguille)」とも呼ばれています。

細かい丸みを帯びた網目のハンドメイドのネット地の上に、ひとつひとつ丁寧に縁取られたバラや植物などのモチーフをステッチで繋げた美しいデザインと高い技術ゆえ「ニードル・レースの最高峰」とも言われており、今でもアンティーク・レース愛好家を熱狂させ、高価で取引されています。

糸の流れに制約のあるボビン・レースとは異なり、ニードル・レースは自由で華麗な柄が表現できるので、当時のロココ調で流行っていた草花柄などをより繊細に具象化して表現しようとしたことも、この地方でニードル・レースが復活した要因のひとつかもしれません。

特にバラ柄のものは「ポワン・ド・ローズ(Point de rose)」と呼ばれ、人気だったようです。このレースは、なんと花びらのところがポケットになっていて、当時はこのポケットの中に香水を含ませたコットンをしのばせ、レース自体が香るようにしたそう。なんておしゃれなんでしょう!

ひとつの製品を何十人かのレース職人が共同で長い時間をかけて仕上げますが、しばしばボビン・レースと合わせて大きな製品も作られました。

ポワン・ド・ガーズはフランスのアランソン・レースを模倣していたため、その優雅なデザインを引き継いでいますが、もともと繊細なレースが得意なこの地方の技術でさらにエレガントなレースとなり、フランスをはじめとしたヨーロッパ中の宮廷人を虜にし、ポワン・ド・フランスが席巻していた市場を巻き返します。
そうすると反対に、アランソン付近のフランスのノルマンディー地方がこのレースを作るようになったようです。
この時代は、その地方独自のものにこだわらず、その時売れる商品をすばやく生産する、ということがわかり、やはりレースが国の大きな「産業」になっていることを感じます。

今ではフランドルのレースは「文化」としてその技術が継承されてはいますが、「産業」としては大きくなく、特産品としてブリュッセルやブルージュなどの主要都市で売られる程度のようです。
特に過酷ともいえる労力と時間がかかるハンドメイドのニードル・レース作りは、ヴェネツィアのブラーノ島のように後継者不足にも直面しているでしょう。

「世界最高峰」と言われるブリュッセルのニードル・レース。機会があったらぜひ、そのやわらかな優雅さを手に取って感じてみたいものです。

次回はレース作りのイメージがあまりない国のニードル・レースをご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。