ファッション豆知識

レース(3)

前回は、「エンブロイダリー・レース(刺繍レース)」から「ニードル(ポイント)・レース」が登場したお話をしました。

ニードル・レースはヨーロッパ各地に広がり、様ざまな技法が生まれたので、このニードル・レースだけでもとても多くの種類がありますが、今回はその一部をご紹介したいと思います。

レティセラや“ニードル・レースの元祖”と言われるプント・イン・アリアを生んだヴェネツィアは、レースが一大産業となります。
優れた技巧と美しさで群を抜いていたヴェネツィア製のレース「ヴェネツィアン・レース」は、ヴェネツィアの商人によってイギリスやフランス、スペイン、ドイツなどへも輸出され、ヨーロッパ各国の宮廷や教会を彩りました。

レティセラやプント・イン・アリアが登場した16世紀から17世紀のルネサンス期のヴェネツィアといえば、宮廷や教会の貴人たちが装飾を極めていた時代です。この頃のおしゃれアイテムであるハンカチーフを美しく装飾したのは刺繍やレースでしたから、その貴人たちのおしゃれ競争はイコール、刺繍やレースの技法の飛躍的な発展につながりました。

そしてその発展に貢献したのはこの人、このコラムではおなじみのファッショニスタ、カトリーヌ・ド・メディシス(イタリア語名はカテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ)です。彼女が16世紀初めにフランス王アンリ2世に嫁いだことで、精巧なヴェネツィアン・レースが、技術を持ったレース職人とともにフランスにもたらされました。
彼女が持ち込んだ他の様ざまなファッション・アイテムと同様、レースもフランスで独自の発展を遂げていきます。

カトリーヌがフランスに持ち込んだヴェネツィアン・レースは、フランス語で「ポワン・ド・ヴニーズ (point de Venise:仏)」と称され、瞬く間にフランス宮廷人たちの間で流行となりました。
ちなみに、フランス語の「ポワン(point)」もイタリア語の「プント(punto)」も「目」の意味で、英語では「ポイント(point)」、ドイツ語では「スピッツェ(Spitze)」というそうです。

この当時のレースは、ひとつ作るのに希少な熟練工が何ヶ月もかけて作るため、刺繍と同じく高価なものとして財産目録にも載るほどになっていました。(レースや刺繍が施されたハンカチーフが、貴重な財産として扱われていたお話は「ハンカチーフ」の回でも出てきます)
そのため、レースは富と権力の象徴となり、特にこの時代は王侯貴族の男性に愛用されました。

フランスでは、男性はポワン・ド・ヴニーズの襟を好み、カフスやスカーフ、ハンカチーフを襟に合わせてコーディネートしていたそうです。この頃から、フランス男性はおしゃれの達人だったようですね。

おしゃれを競う宮廷人たちの要望に応えるように、ヴェネツィアではさらに様ざまなヴァリエーションが生み出されました。
「ポワン・プラ・ド・ヴニーズ (Point plat de Venise:仏)」は、それまでのプント・イン・アリアの幾何学模様に加え、植物などの模様を組み合わせたものです。
その名に「平たい(plat:仏)」という言葉があるのは、この後立体感のある「厚い(gros:仏)」タイプの「グロ・ポアン・ド・ヴニーズ(Gros Point de venise:仏)」が登場したからです。

ボタンホール・ステッチなどで肉厚な模様を表現するグロ・ポアン・ド・ヴニーズは、まるで彫刻のような仕上がり。大胆な花模様をあしらった豪華で力強いバロック調のこのレースは、太陽王ルイ14世やその周辺の王侯貴族たちにとても愛用されたそうで、太陽や王冠などルイ14世にちなんだ柄も多く作られました。
その当時グロ・ポワン・ド・ヴニーズを身に付けずには、誰も王宮に入れなかった、なんて逸話も残っているほど。家具などにも広く使われ、もっとも成功したヴェネツィアン・レースの代表格です。

その他に、グロ・ポアン・ド・ヴニーズの立体感を残しつつ、花や葉などの模様を小ぶりにして、より繊細で洗練されたデザインに仕上げた「ローズ・ポアン・ド・ヴニーズ(Rose Point de venise:仏)」なども登場しました。
これらのバロック・レースは黄金期を迎え、ヴェネツィアからのレースの輸入は増加の一途をたどります。

しかしその熱狂によって、莫大な金額がレース購入費としてヴェネツィアに流出し、フランスの財政を圧迫するほどになりました。そしてとうとう、時の財務総督のジャン=バティスト・コルベールによって、レースの輸入禁止令がしばしば出されるまでになります。それでもレースの輸入はなかなか止まらなかったようで、どれだけフランスの貴人たちがレースの虜になっていたかがうかがわれます。

輸入がなかなか止まらないこともあってか、コルベールはさらに彼の「重商主義」の一環として、レースを国産化して自国の産業としようと考え、有利な条件でヴェネツィアやフランドルなどからレース職人を移住させ、すでにレース作りが行われていたセダン(スダン)やアランソンなどに王立のレース製造工房や倉庫などを設立し、フランスのレース産業育成に努めました。
「ポワン・ド・フランス(Point de France:仏)」、つまり「フランス・レース」の始まりです。

各地方の工房が技術力をつけ、独特の技法やデザインが確立されてくると、このポワン・ド・フランスは「ポアン・ド・アランソン」「ポアン・ド・アルジャンタン」「ポアン・ド・セダン(スダン)」など各地名が名に付いたレースに細分化されていきます。

「ポアン・ド・アランソン」「ポアン・ド・アルジャンタン」「ポアン・ド・セダン」などという名前は、アンティーク・レースが好きな方ならお馴染みかもしれませんね。丁寧に手間暇かけてひとつひとつ手作りされた繊細で美しいレースは、今もなお、多くの人々を魅了しています。

次回はこの美しいフランスのニードル・レースやその他の地方のニードル・レースを引き続きご紹介していきたいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。