ファッション豆知識

パーカー(2)

5月に入ってすっかり気温も上がりましたが、「パーカーはもういらない」と思ったら大間違い。陽射しが強くなってくるこれからの季節は、紫外線対策として、またまたパーカーが活躍します。
薄手のものだけでなく、七分袖や半袖、UVカット加工が施された「UVカットパーカー」なども発売されており、ヴァリエーションの多さもパーカーの魅力です。
お気に入りの半袖のTシャツの下に薄手の七分袖のパーカーを重ねたり、長袖Tシャツの上に半袖のパーカーを重ねたり、と案外レイヤードのコーディネートもできるんですよ。

さて、前回は日本の「パーカー」は、実は欧米では「フーディー」と「パーカ」に分かれるのだというお話をしましたが、今回は、フーディーやパーカのようなフードが付いた衣服の歴史をたどってみたいと思います。

フード付きの衣服の歴史は、中世ヨーロッパにさかのぼることができます。

中世ヨーロッパの修道院では僧侶が防寒の目的で、チュニックやローブにフードを付けた「カウル(Cowl)」というシンプルな衣服を着用し、屋外労働者も日常的に「シャペロン(Chaperon)」と呼ばれる防寒や雨避け、日差し避けとなるフード付きのケープのようなものを着用していました。
(ケープについては「オーバーコート」の回を参照ください)

こうしたフード付きの衣服は、少なくとも12世紀のイングランドで見られており、それはおそらく1066年のノルマンディー公ウイリアムのイングランド征服にともなって入ってきたものと思われます。 ちなみに英語の「Hood」という言葉は、「帽子」という意味の「Hat」と同じく、「Höd」というアングロサクソン語が語源となっています。

現在のフーディーのようなプルオーバータイプのものは、1930年代に極寒のアメリカのニューヨーク北部の倉庫で働く労働者のために開発されました。
最初に開発したのは、今でもアメリカのスポーツウェア・ブランドとして人気のある「チャンピオン(Champion)」です。

チャンピオンは、大学名のロゴが入ったカレッジ・スウェット(College sweatshirts)でも有名になったブランドですが、1960年代から70年代にかけて、アメリカだけでなくイギリスなど他国でも多くの大学がカレッジ・スウェットとフーディーを作り、流行しました。これがフーディーが世界中に普及した要因とも言われています。
今でもその人気は衰えず、学生の日常着としてよく着られていますし、お土産としても人気です。
また日本でも今、カレッジ・スウェットが流行していて、街でもよく見かけます。 カレッジ・スウェットをはじめとしたスウェットのお話は「Tシャツ」の回でも詳しく書いていますので、ぜひご参照くださいね。

フーディーがファッションとして最初に流行したのは、1970年代のアメリカでした。

ニューヨークのブロンクス地区で興ったストリート・カルチャー「ヒップホップ(Hip hop/Hip-Hop)」の人気が、その背景です。

ヒップホップは、ブロンクス地区でおもに黒人の若者たちによって催された「ブロック・パーティー」と呼ばれるストリート・パーティーで始まった、音楽・ダンス・ファッションを中心とするカルチャー・スタイルです。
「Hip」は「流行の、イカしてる」、「Hop」は「弾ける」といった意味がありますが、当時最先端のスタイルが、ここからポンポン生まれていた感じがしますね。

ラップ(Rap)やDJなどの音楽、ブレイキン(Breaking)などのダンスに加え、落書きアートのグラフィティ(Graffiti)など、今でも流行の先端をいくカルチャーがヒップホップの構成要素として知られていますが、それらのアーティストたちがフーディーを好んで着用しました。

今でこそバンクシー(Banksy)の作品が高額で取引され、アート(芸術)の域にまで評価を高めているグラフィティですが、この頃は、公共の建物や地下鉄に描かれる不法なものが多く、若者たちは夜な夜な警察の目をかいくぐって描いており、その際に身元を隠すためにフーディーをかぶっていました。また、グラフィティ以外の軽犯罪でも、顔が隠れるフーディーを着用する者が多かったため、フーディーにはアメリカのストリート・ギャングと関連する犯罪的イメージも少なからずありました。

そんなフーディーのネガティブなイメージを払拭するのに一役買ったのは、1976年に公開した映画「ロッキー」の大ヒットでしょう。
この映画の中で、シルヴェスター・スタローン演ずる主人公のロッキー・バルボアが、トレーニングでフィラデルフィアの街を走るシーンで着用していたのが杢(もく)グレーのフーディーのスウェット・スーツでした。名シーンと言われるフィラデルフィア美術館でのガッツポーズのシーンでは、その下にさらにスカイブルーのフーディーを重ねて着用していた記憶があります。
ちなみにその後の続編でも、グレーのフーディーが何度も登場するので、「戦うボクサー」を表すアイテムとして象徴的に使われているのだと思われます。

先述のカレッジ・スウェットが、カジュアル・ファッションとして大流行したのもこの頃でした。

こうしてフーディーは、アメリカの一般的な若者たちの間でも流行し、アメリカン・カジュアルに欠かせないアイテムとなりました。

1970年代はまた、モードに初めてスウェット素材を取り入れたことで「スウェットの女王」とも称されるノーマ・カマリ(Norma Kamali)をはじめとするニューヨークの新進気鋭のデザイナーたちが、この新しいストリート・ファッションをいち早く取り入れ、さらに洗練されたファッションとして価値を高めました。

その後、ヒップホップがカッコいい最先端のストリート・カルチャーとして、ヨーロッパや日本をはじめとした世界各国に広まるのにともない、フーディーも世界的に普及していきます。

1990年代までにフーディーは、ストリート・カルチャーを象徴するアイテムとして、ファッションだけではなく様ざまな分野に文化的影響を与えました。実は「Hoodie(フーディー)」という言葉が広く使われ始めたのは、1990年代に入ってからなのだそうです。

ヒップホップが文化的成功だけでなく、経済的成功を収めていった1990年代に入ると、トミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)やジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)、ラルフ・ローレン(Ralph Lauren)などのハイ・ブランドが、コレクションの多くにフーディーをメイン・アイテムとして登場させました。
そうなるとフーディーは、セレブ御用達ファッション・アイテムとして、さらに価値を高めます。素材も綿だけではなく、カシミアなど高級素材を使ったものなども作られました。

また、音楽、ダンス、アートに加えて、近年は「エクストリーム・スポーツ(Extreme sports)」、通称「Xスポーツ」などスポーツ・ファッションにもフーディーは欠かせないアイテムとなっています。
近年Xスポーツの競技が、次々とオリンピックの正式種目となり注目を集めていますが、とうとう2024年のパリ・オリンピックでは、ブレイキンも新種目となりました。選手たちのファッションにも注目して、観戦したいですね。

1970年代に生まれたニューヨークのヒップホップを象徴するファッション・アイテムのフーディーが、どんどんその価値を高め、2020年代の今でも「クール」なファッションの最先端にあることを思うと、ちょっと驚いてしまいますが、それはこのアイテム自体というより、それを着用するアーティストやスポーツ選手が活躍する文化的背景が、常に時代の最先端であることを意味するのだと思います。

もちろんフーディー自体も、機能的でシンプルなファッションでありながらも、下にかぶるキャップとコーディネートしたり、素材違いでレイヤードしたりと、皆、様ざまなアイディアを取り入れて新しいスタイルを作って楽しめるので、人気が長続きするのでしょうね。

次回は、文化的だけでなく、経済的にも大成功を収めたヒップホップのその後の発展と闇を、フーディーとともに追ってみたいと思います。 お楽しみに!

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。