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ファッション豆知識

レース(21)

さて、長く続いたレースのお話も、この回が最後。
私たちのファッションを彩ってきたレースには実に多くの種類があり、その代表的なものをご紹介しただけでこんなにも長くなってしまい、気がつけば4月に入ってしまいましたが、少しでも皆さんにレースの魅力をお伝えできていたら、うれしいです。

では、最後のレースのお話を始めましょう。

前回、ノッティングの技法の起源は古代までさかのぼる、と書きましたが、ひもを結んで作られる古い道具として思い出されるのは、「網(ネット)」です。原始時代から人間は、狩猟採集のために網作りをしてきました。
最後にご紹介するのは、その「網」という名がついた「フィレ・レース(Filet lace)」です。

「Filet」はフランス語で「網(ネット)」のことで、その名前が示す通り、四角または菱形の網目のネット地に、別の糸をくぐらせて模様をつけたレースです。刺繍で模様をつけたものは「フィレ・ギピュール(Filet guipure)」とも呼ばれます。

※「レース(9)」でご紹介した「チュール・エンブロイダリー(Tulle embroidery)/チュール刺繍」と似ていますが、チュールの網目は六角形であることから区別されているようです。

フィレ・レースは作るものに合わせて、中心から円形に編む、平面に四角く編む、など様ざまな編み方があります。また、このレースは透けてやわらかく、流れるドレープが美しいため、ショールやテーブルクロス、ベッドカバーなど大きなものも多く作られました。

フィレ・レース【Filet lace】

フィレはフランス語で<網><網目細工><レース>のことで、フィレ・レースは網目状のあき模様(オープン・メッシュ・レース)につくられる手製のレースのことである。このレースの基本となるものは、ネッティング(netting = 網目づくりであり、レース糸を縦、横結びあわせて四角い網目をつくることをいう。この中にダーニング・ステッチなど糸をかけてうずめ模様をつくる。このレースの起源は古く、明らかではないが、漁網の編み方からヒントをえ、コプト人がはじめたものといわれている。はじめはたんに結び目でつながれた網(メッシュ)であったのが、しだいに複雑になり、芸術品といわれるような美しいものがみられるようになった。これらにペルシア(イラン)のフィレ・リシュリュー(filet richelieu)などの豪華なレースがあり、もっとも美しいものに、18世紀の花模様のついたフィレ・レースがある。近代のフィレ・レースは、種々の糸をつかい、単純なステッチで刺したものが多い。このレースは、ネッティング、またはフィレ・エンブロイダリー、つまりネッティング・プロパー(またはプレーン・フィレ=網目づくり)とエンブロイダリード・ネッティング(フィレ・レース = 模様刺し)の2工程にわけられるが、手製または機械編のネットのかわりに、フィッシュ・ネットとして知られている機械編レースに似た織物が用いられたり、模様刺しをミシンで行うものもある。フィレ・レースは、レース糸の太さそのままを使うので、かぎ針編などの編レースとは違った繊細な美しさがあり、レースの中でももっとも透けて、たれ下がる美しさをもっているのでその特徴をいかし、テーブルクロス、ピアノかけ、ベッドカバー、ショール、手袋などに用いられる。古くは肌着、下着類の縁飾りやドレス、ブラウスなどに用いられた。

フィレ・レースの歴史は非常に古く、漁や狩猟用に作られていた網をもとに、古代エジプトのコプト人が作り始めたという説もあるようですが、網地を埋めて模様をつけるようになったのは13世紀頃と言われています。当時はイタリアの漁師の妻たちによって、頭にかぶるネットなどが作られていました。
14世紀には服飾品としてヨーロッパ各地に広まり、15世紀に入ると、作った網に刺繍で模様を入れたフィレ・ギピュールが、大聖堂や教会の祭壇飾りとして用いられました。

スコットランド女王メアリー・スチュアート(Mary Stuart,1542-1587)や、このコラムでも幾度も登場しているお馴染みのファッショニスタ、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis,1519-1589)は、熱心なフィレ・レースの作り手だったと言われています。
このレースも、タティングやマクラメと同様に、貴婦人たちの手芸として広がりました。

神話のモチーフや天使、などの模様が多いフィレ・レースですが、はじめは単純な模様でした。発展していくにつれ次第にデザインも複雑化していき、18世紀頃には非常に繊細で美しい芸術性の高いレースも生まれました。 近代のフィレ・レースは、種ざまな糸を使って、単純なステッチでデザインされたものが多いそうです。

これまでたくさんのレースをご紹介してきましたが、最後ですのであらためて、「新・田中千代服飾事典」の「レース」の項の「歴史」で、その発展の歴史を復習してみたいと思います。
このコラムを読んできてくれた方は、「あぁ、あのレースね」と、具体的なイメージを思い出しながら、それを時間軸でつなげることができるかと思います。

レース【Lace】

ー歴史ー

レースの歴史はきわめて古く、紀元前1600~1500年ごろすでにエジプトにおいて、亜麻布に色糸で縁かがりがほどこされていたことが知られ、ドローン・ワークの一種で、幾何学的な模様であった。また古代ギリシア人、ローマ人はぜいたくを好み、コントラストの強い色糸や金糸の美しい模様レースでトーガやペプラムを飾っていた。これが今日われわれがレースといっているものに発展したと思われる。レース編の起因には2説あり、一つは衣服が古くなっていたむのをつくろうためのかがりから美しいレースに発展したとするものと、もう一つは織られた布のはしがほどけないようにするためふさを編む技術が発達してレースがうまれたとする説である。また古くから魚網として用いられていた結び目のあるネットもレース編の先祖であるといわれる。1250年ごろには多くの人びとが花や葉の模様の<カット・ワーク>のレースを衣服の縁飾りなどに用いていたのを見ることができる。しかし今日われわれが見るようなレースが最初にあらわれたのはイタリアのヴェニスで、16世紀にはすでにさかんに行われていたといわれる。これは幾何学的あるいはゴシックふうのデザインのもので、ブライド(枝)はなく、ドローン・ワークふうのものであった。16世紀末には、花などの模様がつくられ、ブライド(枝)でつながれた重々しい感じのものがおこった。ジェノヴァやブラノにも広がり、襞(ひだ)のあるレースや、絹レース、金銀レースもつくられた。このレースはイタリアのカトリーヌ・ド・メディチ(Catherine de Medicis)がフランスに嫁したことから、まずフランスに広まり、ついでオランダ、ベルギー、イギリスへと広がり、スウェーデン、デンマーク、スイス、ハンガリー、ギリシア、スペインと全ヨーロッパ、地中海沿岸諸国に広まった。最初イタリアにおいては、網目の部分と模様の部分がいっしょに編まれる手針レースであったが、この方法は1670年ごろまで行われ、その後はボビンを用い、網目と模様を別々に編み、それらをあわせて一つのレースとする方法がとられた。ネーデルランド(ベルギー、オランダ)では最初からこの方法が用いられ、そのため手針レース(needle lace, dentelle à l’aiguille)はイタリアにおこり、ボビン・レース(bobbin lace, dentelle aux fuseaux)はネーデルランドにおこったとする説もある。とくにフランスにおいてはルイ14世や当時の枢機卿(すうききょう)コルベールがレース工業を奨励し、1665年にはアランソンに大工場を建設し、ポワン・ドゥ・フランスの名をえ、イタリア・レースを制圧するほどにまで発展した。また網地はフランスのチュール市で最初に機械生産されたため、それまでレゾー(réseau)といわれた網地はチュールとよばれるようになった。イギリスではベルギー、オランダより技術輸入し、スチュアート時代(1663~1714)には全盛をきわめた。1720~1780年には模様も幾何学模様の簡単なものから、花、葉、つぼみ、水玉などのモチーフを網地一面にまき散らしたような複雑精巧なものへと発展し、このパターンは現在まで続けて用いられている。この形のレースはベルギーのブリュッセルでひじょうにさかんにつくられ、<ブリュッセル・レース>の名をえた。フランスでもリール市やヴァランシエンヌ市を中心にさかんに行われ、製法、図案は各地で模倣されるまでになった。これはひじょうに豪華で精巧をきわめ、とくに<ヴァランシエンヌ・レース>のように精巧なレースは、わずか8ミリ四方を編むのに1週間を要し、1着のドレスには10余年の歳月を要したといわれる。糸も現在では18番から80番くらいのものが多く用いられているが、当時は200番、300番といったきわめて細い糸で編まれていた。18世紀末にはイギリスでも<ホリー・レース>が製作され、19世紀にはブリュッセル・レースの系統をひく<ホニトン・レース>があらわれ、流行した。当時のレースは宝石などと同じように財産とみなされ、財産目録や遺言状に記されるほどであった。このように高価なレースは、当然宮廷を中心とする上流階級でさかんに用いられ、男女を問わず衿、袖、ネクタイ、ハンカチーフ、その他の服飾品に用いられた。今日でもレースのすぐれた国として、イタリア、フランス、ベルギーの3国があげられる。しかしフランス革命(1789年)によって、フランス・レースは生産されなくなり、イギリス宮廷はそのため大きな痛手を受け、機械レースの発明を促すことになった。1808年イギリスのヒースコート(John Heathcoat)がボビン・ネットをつくる機械を発明し、機械レースの成功の土台を築いた。数年後つまり1813年には、リバー(John Leaver)はこれを改良したが一般使用に耐えうるものではなかった。しかし1834年フランスのリヨンに住むジャカード(Joseph Marie Jacquard)は、ついに絹糸を編むための機械を発明し、許可をえた。それはそのまま使用できるもので、手編レースのほとんどすべての種類のものを編むことができるものであった。しかしさらに多くの改良がほどこされて、より完全な機械がもたらされた。それは現在ダンテリエール(dentellière)として知られている。この機械の誕生以来、手編レースより、ずっと安価に美しいレースができるようになった。しかし現在でもヴァランシエンヌ・レースのように手編でつくられる高価なレースもある。日本にも1920年代にレース機械が輸入され、その製品の輸出国となった。わが国において創案されたレースとしては1933年に斎藤光歩が発案し、その名にちなんでつけた<コッポ・レース>というヨーロッパのテネリフ・レースに似ているものがある。そのほか、一般のレースは第二次大戦前までは浜松地方、越後(えちご=現在の新潟県)地方、横浜などでつくられていたが、戦後は各地でつくられるようになった。

機械レースが一世風靡した後、19世紀末にかけて手工レースが再評価されましたが、20世紀に入ると機械レースのレベルがさらに進歩し、また、服装がカジュアル化していったこともあり、手工レースは観光客向けのお土産用や愛好家のコレクション対象として残る程度となり、特に高級なものは市場に出回らなくなってしまいました。

生産地に関しても、第二次世界大戦によりヨーロッパの手工レース産業が決定的に絶えてしまったため、戦後はおもにチュニジア、アルジェリア、マダガスカル、ヴェトナム、インドといった、フランスやイギリスのかつての植民地や中国で細ぼそと作られているようです。けれども、それらの地域でも後継者不足により、いつ途絶えてしまうかわからない状況です。

そして、21世紀の今、ファッション界ではまた、手工レースが憧憬とともに注目されています。
例えば「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」は、マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)がクリエイティブ・ディレクターに就任して以降、刺繍などの手仕事をフィーチャーし、その美しさをふんだんに散りばめた魅惑的なコレクションを展開していますが、特に2022-2023の秋冬のオート・クチュール・コレクションでも、カット・ワークのようなエンブロイダリー・レースやパーツ・レースのような様ざまな技法で、まさに芸術的なテキスタイルを作り上げています。Youtubeのブランド公式チャンネルの「Autumn-Winter 2022-2023 Haute Couture Lace Embroideries」というタイトルの動画で、その製作過程が少し見られますので、ぜひ目の保養に見てほしいな、と思います。

本当に、この人間の生み出した素晴らしい装飾技術を失わないように、なんとか守っていきたいものですね。

初期のレースは、教会や修道院で祭壇幕や法服に使われ、やがて、王侯貴族の礼服の襟やカフス、ハンカチなど、衣服の装飾に用いられました。エリザエス1世時代には、首の後ろを飾る大きなレース製の襟も登場しましたね。17世紀の上流社会では、男性は襟や胸元、ストールなど、女性は総レースのドレスや袖、襟、髪飾りなどにレースが使われました。

18世紀末のフランス革命をきっかけに、ヨーロッパの王侯貴族が衰退したことと、その後の産業革命で機械が登場したことで、一般女性のファッションとして普及したレースは、衣服や帽子、靴などのファッションアイテムはもちろん、カーテンや家具カバーなどインテリアを彩る様ざまなレースアイテムが普及しました。

「新・田中千代服飾事典」の「レース」の項の「用途」には、レースがその布自体以外に、肌の色、下着、裏打ちなど様ざま要素が加わって一つの雰囲気を作っている、とあり、またひとつレースの奥深さを知った思いです。

レース【Lace】

ー用途ー

一般にレースは透けることにその生命があるので、下着をととのえて着なければならないのは当然であるが、レースの柄をいっそう目立たせるには反対色の下着を用いることもある。しかし普通には共色か濃淡程度が上品とされている。レースは布自体のほかに、肌の色、下着、裏打ちなどのいろいろの要素が加わって一つのふんい気をつくり、そこに余韻が感じられ、美しいものとなる。機械生産が発達した今日では、レースは以前のものとは比較にならないほど安価であるので、一般の間でも平常着からイブニング・ドレスやウェディング・ドレスなどにいたるまで広範囲に用いられるようになった。また綿、絹、麻、化繊だけでなく、ウールを素材としたウール・レースなどが考案され、従来おもに清涼感のあるところから夏用としてのみ使われ、冬はまれにイブニング・ドレスなどに用いられる程度であったレースも、四季を通じて着用できるようになった。以前はレースの洋服といえばドレッシーなものときまっていたが、近年ではスポーティーなものもでてきており、使用範囲はますます広まっている。

長い長いレースのお話はこれで終わりますが、皆さんのレースに対する興味がこの後も続いてくれることを願います。

というのも、何度も書いてしまいますが、人間の生み出した技術として、レースほど創造性に満ちた美しいものはないと思うのです。


ちょうどこれから、春から夏にかけて白い繊細な小花がふんわりと集まった「レースフラワー」という花が咲きます。英名はレース作りが優れていた英国のアン女王にちなんで「Queen anne’s Lace(アン女王のレース)」というそうです。

その花言葉は「繊細」、そして「可憐な恋」。
レースを効かせたファッションで「可憐な恋」を呼び寄せることもできますが、筆者の私には、「レース」そのものが「可憐な恋」のように思えます。
つまり、レースにすっかり恋してしまったようです・・・!(少々レース・ロス)

さて、次回は何をご紹介しましょう・・・次回もまたお付き合いくださいね!

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。