ファッション豆知識

レース(20)

手編みレースの技法には、前回ご紹介したかぎ針を使う「クロシェ(Crochet)」、棒針などの道具で編む「ニッティング(Knitting)」の他に、結び目を作っていく「ノッティング(Knotting)」という技法があります。

結び目を作りながら模様を描いていく「ノッテッド・レース(Knotted lace)=結びレース」の代表格は「タティング/タッチング・レース(Tatting lace)」でしょう。単に「タティング」と言われることも多いかと思います。「シャトル(Shuttle)」と呼ばれる舟形の小さな糸巻きを使用するため「シャトル・レース(Shuttle lace)」とも呼ばれます。
ドイツでも「小舟の仕事」を意味する「Schiffchenarbeit:独」と呼ばれているそうですが、なぜかイタリア語で「目」を意味する「Occhi:伊」という名でも知られているそうです。一方イタリアでは、「おしゃべり」を意味する「Chiacchierino:伊」と呼ばれているそうです。面白いですね。

タッチング・レース【Tatting lace】

タッチング(レースふう編細工)の語源は明らかでないが、フランス語では<フリフォリテ(frifolité)>とよんでいる。タッチング・レースの歴史にはさまざまの説があって、はっきりしないが、人間がまだ文字を発明する前、符号として結んだり、輪にしたりしてしだいに発達したレースであると考えられる。わが国には明治のはじめに移入され大流行したこともある。このレースはシャトル(shuttle = 糸巻)というボート型の器具を用いて、1本の糸でつくるループを並べて美しい弓状の曲線を組合わせたレース編である。いろいろな模様があるが、クローバーの葉や、車状の模様が一般的である。18世紀ごろのタッチングは絹のコードよりずっと太い糸でなされたので、シャトルは現在のものより丈の長いものであったが、現在は丈7.5センチ、幅約2センチで、それより大きいものはない。糸はつくるものによって異なるが、レース糸などのようなよく撚(よ)れた糸が使われる。細い糸を一本どりで編んで、衣服の装飾や、ハンカチーフの縁などに用いたり、あらい糸で色どりよく編んだものをカーテン、クッション・カバーなどに用いる。

タティングは、糸を指に巧みにからめて、その指の間にシャトルを渡しながら結び目でリングやチェーンのパターンを作り、それを絞ったりしながら形作っていきます。絞る時に小さな隙間を作るとピコットになり、それをつないでモチーフ編みのようにしたり、縁取りの装飾にしたりします。

使用するシャトルは、もともと長さ3インチ(約76mm)以下の金属製または象牙製のとがった楕円形のものでしたが、現在は様ざまな形や素材のものがあります。

細い糸で繊細に作られたタティングのドイリーをよく見かけますが、太めの糸で編むと、カーテン、クッションカバーなど大きいものにも対応できるので、その用途の広さも人気の理由のひとつでしょう。
また、衣服の装飾やハンカチーフの縁などにも用いられますが、総タティングで作られた襟などは芸術品のように美しく、衣服の格が数段上がります。
最近は、タティングのイヤリングやネックレスなどのアクセサリーも、軽くて人気のようですよ。

日本では「タティング」といったら、このシャトルを使った技法を指しますが、実はタティングの技法は他にもあります。

シャトルを使ったタティングは「シャトル・タティング(Shuttle tatting)」と呼ばれ、最も古いタティングの技法ですが、シャトルではなくタティング・ニードルなどの針を使う「ニードル・タティング(Needle tatting)」という技法もあります。
ニードル・タティングには2種類あり、二重の糸を使って少し粗めに編むものと、シャトル・タティングのように1本の糸で編んでいくものがあります。

少し変わったところで、このニードル・タティングとかぎ針編みを組み合わせた「クロ・タティング(Cro-tatting)」という技法もあります。
また、日本では高嶋寿子という人が考案した、特殊なかぎ針だけで簡単に編める「高嶋タティング」という技法もあり、海外でも紹介されています。

タティングのような装飾的にひもを結ぶノッティングの起源は、古代までさかのぼりますが、装飾的なレース技法としての起源は明確には分かっていません。船乗りや漁師が作った装飾的なロープ・ワークから発展したとも考えられていますが、16世紀のイタリアで基礎的な技法ができたとされる説もあります。

1707年に書かれたイギリスの詩に、メアリー2世がタティングの愛好家であったことが推察される記述があるそうですが、特に18世紀以降のヨーロッパの宮廷においては、タティングを作ることが貴婦人のたしなみとされ、大流行しました。

タティングは今でも人気の高い手芸で、日本でも多くの愛好者がいます。

ノッテッド・レース(結びレース)でもうひとつご紹介したいレースは、「マクラメ・レース(Macramé lace)」です。
「マクラメ(Macrame/Macramé)」とは本結び、ひと結びなど様ざまな結び目を組み合わせて模様を作っていく織物の一種で、マクラメ・レースは、そのマクラメの技法で作られるレースです。

「マクラメ」の語源は、「ストライプのタオル」「装飾的なフリンジ(房飾り)」「刺繍されたヴェール」を意味するアラビア語の「Macramia(مكرمية)」に由来していると言われており、13世紀のアラブの織工たちが、織った布の端をしっかり留めるために施していた、余った糸を結んで作る装飾的なフリンジがその起源とも言われています。
ただし、このような技法自体の起源は古代までさかのぼることができ、バビロンやアッシリアの彫刻には、すでにマクラメのような装飾が描かれていたそうです。

イスラム文化圏で発展したマクラメは、アラビア人の進出によってスペインやイタリアへと伝わり、17世紀後半、メアリー2世治世のイギリスにも伝わりました。
特にレース好きだったヴィクトリア女王の時代に大流行し、タティングと同様、マクラメを作ることが貴婦人のたしなみとされました。そのため当時のテーブルクロスやベッドカバー、カーテンなどにはマクラメが施されているものが多く見られます。

マクラメ・レース【Macramé lace】

マクラメというのはアラビア語のムカラムからでたことばで、装飾用のふさや紐(ひも)を意味し、結んでつくるレースのこと。最初、布はしをしっかりさせるために、糸を燃(よ)りあわせたりして結んだものが、飾りふさ(フリンジ)となり、独自の編細工として発展したもので、アラビアに発生したものがギリシアをへて17世紀にヨーロッパに伝えられた。イタリア語でプント・アグロポ、フランス語でポワン・ヌエという。マクラメ編の特徴は、編針らしいものは使わず、マクラメ用のクッションとじょうぶなピンと金属性のくしを使用し、何本もの糸をつくる作品に必要なだけを前もってつくりそろえてから、1本の糸を芯にして巻き結びしながら模様をつくっていく。幾何学的模様の多くの結び方があり、寺院の飾りとか、僧服の飾りとして用いられたが、のちにクッション、テーブルクロス、カーテンなどのふさ飾りとして、また当時の家具調度類や緞帳(どんちょう)の飾りふさとしてなくてはならぬものとなった。そのほか、スカーフやショールなどの絹地の縁飾りや、またビーズをあしらって、バッグや袋物に好んで用い、その模様のため珍重された。イタリアのジェノヴァでもっとも多くつくられていたという。わが国では、徳川時代に七宝(しっぽう)などの結び細工の袋物が上流階級で用いられていたが、一般的になったのは、大正8年ごろである。

ヨーロッパ全土に広まったマクラメは、大航海時代にさらに南米やアメリカ、カナダ、中国など世界中に広まり、独自の発展をとげていきました。

例えばルーマニアの伝統工芸である「ルーマニアン・マクラメ(Romanian macrame)」は、縫針とかぎ針を使って型布の上で仕上げ、最後に型布をはがすという、クロシェやプント・イン・アリアの技法も見受けられる独特の技法で、特にかぎ針だけで作るぶどうの実が見事なレースです。

タティングと同じく、マクラメも船乗りや漁師が作った装飾的なロープ・ワークから発展したと考えられていますが、船乗りたちは古くから、空いた時間に自分たちのナイフの柄や瓶、船の部品のカバーなどをマクラメで作っていました。自分たち用にとどまらず、行く先々でそれらを商品として売買したり物々交換も行なっていたようで、彼らもこの技法の普及と発展に貢献した立役者と言えるでしょう。

日本でマクラメが手芸として紹介されたのは、西洋文化が入ってきた明治時代で、以降、その人気は続いてきました。

ちなみに、Jリーグ発足の時に大流行した「ミサンガ(Miçanga:葡)」は、マクラメの技法で作られたお守りです。最近ではパワーストーンと合わせた南米流の「マクラメ・アクセサリー」も人気が高まっているそうですよ。

さて、次回はいよいよ長かったレースのお話も最終回です。最後にご紹介するレースは・・・お楽しみに!

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。