ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(4)

さて、新年もすでに半月過ぎてしまいましたが、今年は三が日に土日が重なったためお休みが少なく、まだまだお正月気分でいたい人も多いのではないでしょうか。

お正月は実は「三が日」だけではありません。7日まで(地方によっては15日まで)を「松の内」とも呼びますが、元来20日までがお正月で、その間に「小正月」(1月15日または15日前後の3日間)を経て、「二十日正月」(1月20日)で正月の祝い納めをしました。ちなみに小正月は、日本が旧暦を使用していた頃に、満月となる1月15日を「1年の始まり」としていた名残なのだそう。

実は現在1月第2月曜日に行なわれている「成人の日」は、以前は1月15日に行なわれていましたが、それはかつて「元服の儀」がこの小正月に行われていたことが由来でした。
「成人の日」といえば、ファッション的には貴重な「着物を着る機会」です。
街で着物姿の新成人を見かけると、こちらまで晴れやかな気持ちになりますね。

和装で目を惹くのが、繊細で美しい「日本刺繍」。
日本刺繍は、基本的には絹の生地に絹糸や金糸、銀糸で、刺繍台に固定した生地に両手を使って刺していく刺繍です。
日本刺繍に使う絹糸には撚り(より)がかけられておらず、自分で撚りの強さを変えて光沢を調節したり、複数の色の糸を組み合わせたりして、複雑な模様や色合いを繊細に表現します。その技術とセンスは世界中から高く評価されており、熱心な海外コレクターも多いそうです。
おもに桜や菊、鶴や鯉など日本画に描かれるものや家紋などの模様が多く、着物や帯、日本人形などに見られます。

日本における刺繍の起源は、インドから伝わった仏教画のひとつだったようです。
3世紀頃、政治を執り行っていた神功(じんぐう)皇后の「三韓征伐(さんかんせいばつ)」の折に、大陸文化のひとつとして伝わったのが起源という説もありますが、5世紀頃には中国を経由してインドから「繍仏(しゅうぶつ)」という仏像や菩薩(ぼさつ)像、浄土図などが表現された刺繍作品が伝えられたことがわかっています。

繍仏は飛鳥・奈良時代に仏教文化として多く伝来し、日本でも数多く作られたようです。奈良時代にはおもに「鎖繍(くさりぬい)」「駒繍(こまぬい)」などが施された繍仏が多く作られたそうで、鎖繍は文字通り「チェーン・ステッチ」、駒繍は「コーチング・ステッチ」に相当する技法です。
その代表的なものが、奈良の中宮寺に伝わる「天寿国曼荼羅繍帳」(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)で、現存する日本最古の刺繍です。これは聖徳太子が亡くなった後、太子の妃である橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が、宮中の「采女(うねめ)」と呼ばれる女官たちに命じて、太子が往生した「天寿国」、つまり極楽浄土の様子を刺繍させたものと伝えられています。

また、奈良時代から平安時代にかけて中国と日本を結んだ使節団の「遣唐使(けんとうし)」が、中国から多くの刺繍作品を日本に持ち帰ったことで、日本の刺繍はさらに発展し、独自の技術を磨いていきました。
特に遣唐使であった吉備真備(きびのまきび)は、多くの刺繡作品を持ち帰るだけではなく、刺繍の技能をもった縫製職人の「縫工(ほうこう)」を伴って帰り、日本に刺繍技術を伝え広め、日本刺繡の礎を築きました。そのため日本の刺繍業界では彼を「業祖」と崇め、毎年祭祀を行っているのだそうです。

日本の刺繍は大きく分けると、この吉備真備が持ち帰った刺繍技術を元にして京都で発展した「京繍(きょうぬい)」と、それが金沢に伝わって発展した「加賀繍(かがぬい)」、江戸時代の町人たちによって発展した「江戸繍(えどぬい)」の3つの地域で受け継がれている装飾的な「日本刺繍」と呼ばれるものと、東北地方に見られる「刺し子」のような民俗的なものがあります。
3つの日本刺繍は基本的な技法は同じですが、絵柄や色合いに細かな違いがあります。

まず1番古い「京繍(きょうぬい)」は、京都府京都市周辺で作られている刺繡で、絹や麻の布地に、絹糸、金糸、銀糸などを使用した繊細で優雅な刺繍です。
平安建都の際に、京都に刺繡の職人を集めた「織部司(おりべのつかさ)」という部門が設置され、彼らが貴族の衣装などを作り始めたのが起源だと言われています。その後平安時代の貴族たちが、男性の束帯や女性の十二単などに刺繍を入れて華やかさを競い合い、より優美なものへと発展していきました。
京繍の特徴は、30通りもの技法を駆使し、2,000色(着物に刺繍する場合は、図柄にもよるが20~30色は使用)にもおよぶ色糸を用いた繊細で豊かな表現力。その高い技術は、日本の誇るべき伝統工芸として今日まで受け継がれています。
着物に装飾するのはもちろんのこと、小物から緞帳(どんちょう)までその用途が多岐に渡っていることからも、この刺繍がどれだけ愛されたかわかりますね。

「加賀繍(かがぬい)」は石川県金沢市を中心に行われている刺繍で、京繍と同様、絹糸や金糸、銀糸のほか、うるし糸などが使われます。
加賀繍の起源は、室町時代初期に仏教の布教とともに京都から伝えられた「打敷(うちしき)」や僧侶の「袈裟(けさ)」などの「荘厳(しょうごん)=仏堂・仏像・仏壇の飾り」として施された手刺繡です。
その後江戸時代の将軍・藩主や奥方の着物の装飾に用いられると、加賀藩の財力の豊かさで、色鮮やかな加賀友禅に金箔などを贅沢に使用した刺繍が施されたりと、より華美なものへと独自の発展を遂げ、やがて全国的な人気を博しました。

加賀繍の特徴は、糸を何重にも重ねる「肉入れ繍」や絹糸の色を変えながらグラデーションをつける「ぼかし繍」など、高度な技法を使った立体的な表現力。
加賀繍も京繍と同じく着物だけでなく、近年は額絵やタペストリー、ルームランプなどの装飾品も作られ、その芸術的な美しさが世界から評価されています。

京繍や加賀繍は、おもに貴人たちの衣服を飾りましたが、「江戸繍(えどぬい)」は町人たちの衣服を飾る刺繍として興りました。
江戸時代の中期、経済力を蓄えた町人階級が自分たちの衣服をおしゃれにしようと、あらゆる染色技術と刺繍を用いて絢爛豪華な着物を生み出したのが始まりだと言われています。
江戸繍は、江戸の繁栄とともに江戸を中心に広がりましたが、時には豪華さが過度になり過ぎて、幕府の取り締まり対象となることもあったそう。
江戸繍も着物以外の様ざまな用途で用いられ、人びとから広く愛され続けています。

そして、これまでご紹介した3つの刺繍とはまったく質を異にする刺繍が、東北地方で古くから伝わる「刺し子(さしこ)」です。
中でも青森県津軽の「こぎん刺し」、青森県南部の「菱(ひし)刺し」、山形県庄内の「庄内刺し子」は「日本三大刺し子」と呼ばれ、現在でも親しまれています。
こちらは前回お話したアジアの山岳少数民族のものと同様、庶民が貴重な衣服を少しでも長持ちさせるための、生地の補強、補修の役割として生まれた刺繍です。

山岳少数民族の刺繍のモチーフは「魔除け」など呪術的な意味合いがあるものが多くみられましたが、日本の刺し子も同様で、刺し子の代表的な模様には、厄除けや健康、長寿、祈願達成などの願いが込められた「伝統柄」と呼ばれているものが数多くあります。子どもの成長や健康を願う意味で、茎が丈夫で真っ直ぐ伸びる「麻の葉」や、厄払いの柄で縁起が良いとされている「七宝」、海がもたらす恵みを表した「青海波(せいがいは・せいかいは)」などが有名です。
日本では、「縫い目」自体にも呪力が宿ると考えられていたそうで、補強と呪術的な目的で、布いっぱいに細かいステッチで幾何学的な伝統柄が刺されています。

縫い目自体が魔除けになるため、背後から忍び寄る魔物を防ぐために、着物を作る時には左右の身頃となる布を背骨に沿って縫い合わせる「背縫い」という縫い目を作るのですが、赤ちゃんが着る産着(うぶぎ)や子どもの衣服には背縫いがないものが多く、母親たちは子どもに魔物が寄り付かないように、背縫いの代わりとなる魔除けのお守りとして「背守り(せまもり)」という刺繍を施しました。
背守りは、兵庫県姫路市辺りに伝わる「モンカザリ」「モリヌイ」、三重県松阪市の「セジルシ」、沖縄の「マブヤーウー」など様ざまな名前で日本全国に見られるそうです。
大人の和服の背縫いの上部に入れる「背紋(せもん)」も、もともとは魔除けの目的でつけられたのだそう。

現在北海道などに住むアイヌ民族の「ルウンペ」「チヂリ」といった民族衣装も、呪術的な意味をもつ幾何学的な模様が刺繍されており、独特の刺繍文化が発展しました。
アジアの山岳少数民族も、魔除けとして刺繍を衣服に施す風習があることは前回お話しましたが、医療が発達していない時代や地域では、厳しい環境下でも生き延びることができるように、魔除けとしての刺繍は世界中に見られるそうです。

その他日本の刺繍には、平安・奈良時代からあると言われる「絽刺し(ろざし)」というクロス・ステッチと同じキャンバス・ワーク手法の刺繍や、もともとはヨーロッパで始まった技術が日本で改良され花開いた、パンチニードル刺繍に似た「文化刺繍」などがあります。

にほんししゅう日本刺繍

日本で古くから用いられているもので、かま糸をよったり、そのままでさしたりする刺繍(ししゅう)。地布には一越縮緬(ひとこしちりめん)、綸子(りんず)、紬(つむぎ)、帯地など和服地を用い、平縫、けし縫、相良(さがら)縫、匹田鹿子(ひったかのこ)縫などがそのおもなものである。

エンブロイダリーのにほんししゅう日本刺繍の項

日本刺繍は、神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征伐(さんかんせいばつ)のおり、他の芸術とともにわが国に伝わったのがはじめといわれ、その後、仏教の伝来が盛んになるにつれ、仏教文化の一部として輸入され、日本的に消化完成されたものである。奈良時代にはおもに鎖繍、駒繍などが行われ多くの繍仏(しゅうぶつ)が天平時代にかけてつくられた。平安時代には平ぬいが盛んとなり、鎌倉、桃山時代になると、方向転換の自由な片面の平ぬいが行われ、小袖(こ袖)や能装束に工芸性豊かなものがみられる。江戸時代になって町人文化が盛んになるにつれ、刺繍も町人によって盛行をみるようになり、さがらぬい、紗(しゃ)刺しのような異国趣味のものも用いられ、友禅染、絞染などと組合わせた技巧的なものが盛んとなった。明治以後は、昭和初期の流行を除けば、欧風刺繍に押されて、徐々に衰えてきているようであり現在ではわずかに、能衣裳、小袖などの遺品、歌舞伎の衣裳や、一部の高価な衣服にぬわれているのみである。

ー 特徴 ー

欧州刺繍に比べて日本刺繍はおもに絹地に絹糸で刺すもので、ボリュームの点では欠けるが、繊細で味わいのある刺繍が多い。現在も残る最古(622年)の日本刺繍は、奈良中宮寺にある天寿国曼陀羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)で、これは聖徳太子の死をいたみ、太子の妃(きさき)橘大女郎(たちばなのおおいらつめ)が采女(うねめ)とともに繍(しゅう)造したといわれている。地布は一越縮緬(ひとこしちりめん)、倫子(りんず)、紬(つむぎ)、帯地など、いわゆる和服地が用いられる。糸は<かいこ>の口から出たままの糸を21本合わせた(21デニール)を1すがとして、4すが、8すが、12すがにしたものをかま糸(平糸ともいう)と称し、これを使用するかま糸は、よりがかかっていないので、何本かにさして用いるか、縫うときに撚(よ)って用いる。このほか、金、銀糸、ときには平金も用いる。針は日本刺繍専用の針があり、布に通す糸のつやが失われないよう、針の上部は太くしてある。太さと長さにより、小衣裳(こいしょう)、相中(あいちゅう)、常細(つねぼそ)などと名称がついている。図柄は自然界の風景、花鳥、日本楽器、物語的なものが用いられる。またこのほかに日本独特の布地である絽(ろ)を使って刺繍された絽刺しや、東北の農民からうまれた民芸のこぎんが、日本の刺繍に属するものである。英語でジャパニーズ・エンブロイダリーという。

古くから貴族や武士、僧侶たちの衣装や、社寺の装飾に用いられた日本刺繍は、各地で様々な技法が発達し、安土・桃山時代には絢爛豪華な能衣装や小袖が生まれ、江戸時代まで多くの刺繍職人や下絵師が活躍しました。
しかし明治維新以降、大注文主であった武士や寺社などが弱体化し、贅沢品であった日本刺繍も打撃を受けました。また、ヨーロッパ刺繍が入ってくると、その勢いに押されて国内ではだんだん影をひそめていきました。

反対に、初めて日本が正式に参加したウィーン万国博覧会をきっかけに、日本の美術品や工芸技術の高さが特にヨーロッパで注目され、日本刺繍も高く評価されました。
外貨獲得のために欧米の生活に合わせた壁掛け、額装、ついたてなどのインテリア製品も多く作られ、海外向けの高質な刺繡作品が大量に輸出されました。手の込んだ高質なものはほとんどが海外へ輸出されたため、現在日本に残っているものは非常に少ないそうです。海外の博物館に行くと、その頃の素晴らしい日本刺繍に出会うこともあり、あらためてその技術の高さを継承することの大切さを感じます。

その後、日本刺繍は昭和初期に一時流行しましたが、手軽に刺せるヨーロッパ刺繍に押されて、日常的にはあまり見かけなくなり、今では能や歌舞伎などの伝統芸能の衣裳や花嫁衣装、小袖などの遺品、一部の高価な和服で見られる程度になりました。

ところが最近、着物=キモノがまた懐古趣味的な流行をみせています。キモノをセンス良く普段使いする人が増えており、アンティークの着物を愛用する人も増えてきました。アンティークの着物や帯、小物に施されている日本刺繍に魅了され、趣味として始める人も多いと聞きます。

インスタグラムなどで個性的なキモノ・コーディネートを紹介するDJ、シンガー、デザイナーなどマルチで活躍するマドモアゼル・ユリアさんや着物研究家のシーラ・クリフさんなどのコレクションの中にも、素晴らしい日本刺繍が見かけられ、その丁寧な手仕事ぶりに驚嘆します。

彼女たちのキモノ・コーディネートは、見ているだけでもセンスアップしそうな素敵なコーディネートばかりで、洋服のコーディネートの参考にもなりそう。

キモノ初心者は、半衿に刺繍が施された「刺繍半衿」がリーズナブルで使いやすいと思います。
キモノじゃなくても和洋折衷のセンスで、ジーンズに刺し子でアクセントをつけるというアイディアもいいですよね。

今年は、ひとつでもよいので、コーディネートが格段とランクアップする素敵な日本の刺繍に出会えたらいいな、と思います。

次はどんな刺繍が登場するでしょう?
まだまだご紹介したい素敵な刺繍がたくさんあります。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。