ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(12)

さて、長く長く続いた「刺繍」のお話も、いよいよこれが最終回。
最後にご紹介するのは、これから到来する夏にピッタリなラテンアメリカの色鮮やかな刺繍です。

ラテンアメリカの刺繍は民族色の強い個性的な刺繍が多く、そのカラフルな色使い、素朴でキュートな動物や植物の柄は、身に付けるだけで元気が出るような気がします。

まずはラテンアメリカの刺繍の中でも世界中で人気のある「手工芸、民芸品の宝庫」、メキシコの刺繍からご紹介しましょう。
メキシコには多くの部族がおり、それぞれ素晴らしい刺繍文化を持っています。
それぞれの部族の個性ある刺繍は、彼らの生計を支える重要な産業でもありますが、これまで見てきた他の地域の部族と同様、部族の大事な「伝統」として代々受け継がれています。

日本では「メキシコ刺繍」といったら、カラフルなお花が可愛い「プエブラ刺繍」を思い浮かべる人が多いかもしれません。

メキシコ・シティの東にあるプエブラ州で生産されているプエブラ刺繍は、この地域の部族の女性たちによって受け継がれている手刺繍です。サン・ガブリエル・チラク、通称「チラク村」という小さな村が生産地として有名です。

プエブラ刺繍は素朴で可愛らしい色鮮やかな花々のデザインが特徴で、おもに女性のワンピースやブラウスなどにあしらわれます。
皆さんも夏のワードローブの中で、1枚は持っていたりしませんか?ちょっと可愛らしいデザインなので、子ども服に多く見かけるかもしれませんね。

職人によっては、鳥なども描かれているものや単色のものなど、ヴァリエーションがあるようです。
民族衣装の伝統的なドレスには、胸もととおなかの部分に刺繍が施されていて、おなかの部分には華麗な孔雀が描かれているものもあり、少し大人っぽいデザインになっています。

でも、メキシコの代表的な刺繍といったら、「オトミ刺繍」でしょう。

オトミ刺繍は、首都メキシコ・シティの北東にあるイダルゴ州のテナンゴという地方の山間部に住むオトミ族という部族の間で代々受け継がれてきた伝統刺繍で、「テナンゴ刺繍」とも呼ばれます。
この地域にあるサン・ニコラスという村が発祥地と言われ、今でも、この地域の女性たちの手作業によって生産され、大事な生業となっています。

基本的には、メキシコの白い綿生地である「マンタ」にカラフルな糸で、様ざまな動物や花の可愛らしいモチーフが刺繍されています。
描かれている小鳥やうさぎ、ロバなどの動物や花は、オトミ族の神話にも登場するこの地域に古くから住む動植物で、岩絵などにも描かれてきたそうです。
自然とともに暮らすアジアやイスラムなどの他の民族と同様、自然への畏敬の念がこの刺繍に込められているように感じます。

メキシコ刺繍は全体的にカラフルな色使いが特徴ですが、オトミ刺繍は、その独特な配色も人気で、その配色にはいくつかパターンがあるそうです。
一般的には白地に色鮮やかなカラフルな配色のものが多いですが、中には黒地のものもあります。ただし、黒地だと下絵が見えにくく、白地よりも技術的に難しいので、非常にレアなのだそう。
また、単色のものも、ベッドカバーなどの大きなサイズのもので見かけられますが、珍しいところで2色のものや美しい同系色のグラデーションのものもあるようです。

オトミ刺繍のもうひとつの特徴は、その刺繍技術です。
オトミ刺繍は基本「サテン・ステッチ」を用いていますが、裏側を見てみると、まるで塗り絵の線画のような糸しか見えません。絵柄が隙間なく縫い込まれるオトミ刺繍は膨大な量の刺繍糸を使うため、使用する糸の節約のために、表側にのみ糸が出る特別な手法で刺繍されているのです。
刺繍(5)」でご紹介したラバリ族の刺繍も、貴重な糸を無駄にしないため、裏にはほとんど糸が通っていませんでしたね。
ヨーロッパの宮廷の贅沢な刺繍とは異なり、そこには庶民の生活の知恵がそそぎ込まれています。

カラフルな絵柄を生地一面に隙間なく高い技術で描くオトミ刺繍は、今でも現地の女性たちによる手刺繍で、ひとつひとつ時間をかけて丁寧に作られています。
一般的に民芸品として売られているのは、小ぶりのテーブルクロスやクッションカバーくらいのものですが、それらもひとつひとつ手作業で作られているため、1メートル四方で3~4か月ほどかかるそう。ベッドカバーのような大きいものは、時に1年ほどの時間がかかるのだとか。
人の手で丁寧にひとつひとつ作られたものは、機械で大量生産されたものとはまったく異なる風合いで、一度手にするとその魅力にはまってしまう人も多いことでしょう。

また、独創的なデザインや技術が高い刺繍作品は、「アート作品」として博物館に展示されるものもあります。非常に大きなサイズの作品が多く、制作期間も長いため価値が高く、熱心なコレクターもいるそうです。

実はこの美しい刺繍に注目したのは、アート界だけではありません。世界的な高級ブランドが注目し、オトミ刺繍のデザインの商品を開発して売り出したことで、一気にこの刺繍の世界的評価が高まりました。
そのブランドとは、あの「エルメス(HERMES)」!
エルメスの代表アイテムであるシルクのスカーフ、通称「カレ(Carré)」の2011年春夏のテーマが「メキシコ」で、全面にオトミ刺繍のモチーフが描かれたカレが発売されました。このカレは、オトミ語で「Din Tini Yä Züe(自然とひとの出会い)」と名付けられました。

このプロジェクトは、メキシコ・シティにある民芸品博物館が、オトミ刺繍の名職人たちをエルメスに紹介したことから始まり、スカーフの完成お披露目会にはこの職人たちも招かれたそうです。

そして何よりも素晴らしいのは、この職人たちの希望によって、このプロジェクトの収益のほとんどが地域の文化育成や小学校改築の資金に充てられたのです。今後もスカーフの売り上げやデザインの著作権から得た利益で、刺繍職人の後継者育成センターが作られるそうです。

その他、メキシコの刺繍としては、メキシコ・シティからずっと南下してグアテマラに隣接するチアパス州のアグアカテナンゴ村で作られている「ロココ刺繍」という刺繍も人気です。こちらもメキシコの「マンタ」と呼ばれる白い綿の生地に、カラフルな綿の太い刺繍糸で花や幾何学模様が描かれていますが、ぷっくりとした立体感があるのが特徴の刺繍です。

ぷっくりとした立体感のある刺繍、というと、ブラジルの「タペサリア」という毛糸刺繍も素朴でぬくもりのある刺繍です。

こちらは極彩色ではなく、優しい色彩と絵柄で、極太の毛糸によるクロス・ステッチが、ぷくぷくとした立体感を出しています。

毛糸は耐久性が良いので、もともとタペサリアはカーペットやマットなどに刺繍されることが一般的でしたが、最近は、キーホルダーや、お財布、アクセサリーなどの小物にもタペサリア刺繍を施したものが出ていて、お土産物としても人気です。

タペサリアのルーツはイスラム遊牧民の絨毯と言われており、それがポルトガルに持ち込まれて独自に発展し、その後ポルトガルからの移民によってブラジルに持ち込まれたのが始まりのようです。イスラム、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、と3つの文化が融合している刺繍といえるかもしれませんね。
最近では、クリエイターによるスタイリッシュなデザインのタペサリア・ブランドなども登場し、海外でもタペサリア刺繍が注目されているそうです。

その他ペルーのアヤクーチョ刺繍やシピボ族の刺繍、メキシコ刺繍に似た極彩色が美しいコスタリカの刺繍など、ラテンアメリカにはたくさんたくさん素敵な刺繍があるものの、ご紹介しきれないので、最後にちょっと面白いパラグアイの刺繍「ニャンドゥティ(Ñanduti)」をご紹介して終わりたいと思います。

ニャンドゥティはパラグアイの伝統工芸で、刺繍のように布に刺し、織物のように模様を織り、最後はカットワークで仕上げる一連の工程が珍しい手工芸です。

ニャンドゥティは、グアラニー族の言葉で「蜘蛛の巣」を意味するように、放射線状に丸く編まれた仕上がりがまるで蜘蛛の巣のようで、「レース」の一種ともみなされます。
木枠に張られた布に、土台の糸(織物に例えれば縦糸)を放射状に刺し、そこに別糸で布を織るような要領で「かがり」や「結び」を施し模様を編んでいきます。木枠に張ったまま糊づけをして、乾燥後布から外して仕上げます。

パラグアイの地元の自然や身近な生活道具などが描かれていますが、そのモチーフが「白アリの巣」「魚のしっぽ」「牛の足跡」などユニークなものが多いのも特徴のひとつです。
現在モチーフの図案は350種類以上あるといわれていますが、ニャンドゥティは親から子へ伝承されてきたことから、同じモチーフでも人により針の運びや、モチーフの呼び方が違うのだとか。

ニャンドゥティは、首都アスンシオンから東に30Kmほど離れたイタグアという町で作られているものが有名ですが、ピラジュやウパカライといった他の地域でも生産されており、地域でもその作風が異なるようです。

その起源は16世紀(17世紀~18世紀の間という説もある)に、スペインからキリスト教とともに持ち込まれたヨーロッパ文化のひとつに、ニャンドゥティの原型となるレース(スペイン各地 に伝わる「太陽」を意味する「ソル・レース」、またはカナリア諸島の「テネリフェ・レース」)があったと言われています。ソル・レースが白もしくは生成りの糸が使われているのに対し、パラグアイでは赤、青、黄色、ピンクなど極彩色の木綿糸、縫い糸が使われているのが特色で、自由で鮮やかな配色、繊細なグラデーションなど独自の進化を遂げました。

日本では習い事の手芸として、近年人気が高まってきているようですが、現地では作り手の高齢化と後継者不足が年々深刻化しており、伝統の継承に大きな不安が生じているそうです。そのためパラグアイ政府は、国をあげてこのニャンドゥティの需要度を高めるため、世界にその魅力を伝える活動に力を入れているそうです。

世界の様ざまな文化の形、「伝統工芸」として受け継がれてきた刺繍。
また、歴史の中で、権威を象徴する贅沢品として発展した「高貴な美術品」としての刺繍。
様ざまな刺繍をご紹介してきましたが、これでもまだほんの一部です。

そして現代の刺繡は、「伝統工芸」とか「高貴な美術品」としてではなく、私たちが手軽に楽しむことができる「ファッション」のひとつとして、また「趣味」のひとつとして、新しいスタイルを次々と生み出しています。

時代を越え、国境を越えて輝き続ける刺繡の世界。
このコラムを最後まで読んでくれた皆さんは、すでに刺繍の世界の旅人。どうぞこれからも美しい刺繍の世界を楽しんでくださいね。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。