ファッション豆知識

化粧(1)

外出しなくなると、とたんにオシャレに気を遣わなくなってしまいませんか?

もちろん普段通りのスタイルを保っている人もいるでしょう。また、自宅内で過ごす期間が長いと、休日とのメリハリをつけるために、あえて平日は普段通りのスタイルをする人もいるでしょう。

でも、朝起きた時のままのパジャマやルーム・ウェアで過ごしている人は、案外多いのではないでしょうか?(と言う筆者は、パジャマの上に羽織りものを着てこのファッション・コラムを書いています(⌒-⌒;))
パジャマも含めて自宅内でくつろぐルーム・ウェア、ワンマイル・ウェアなどのオシャレについては、以前「パジャマ」の回でもいくつか紹介しましたが、服装と同様、自宅で過ごすことが多くなると、化粧もしなくなりがちです。

自宅でもきちんと化粧をする人、ファンデーション以外のメイクをする人、眉毛だけ描く人など人それぞれですが、あらためて思うのは、化粧もファッション・コーディネートの一部だということです。ゆるいルーム・ウェアに厚化粧する人は、あまりいないのではないでしょうか。

「化粧」というと、基本的には顔に施すもの、というのが一般的な認識だと思いますが、髪を整えたり、爪を切ったり、香水を付けたり、と、服装以外の「外観を美しく整える・飾る」ことを意味する場合もあります。

「外観を美しく整える・飾る」という目的で考えると、やはり先ほど書いたように、「化粧」は衣服と同じく「コーディネートの一部」と言えるでしょう。

また、「化粧仕上げ」や「化粧材」のような建築用語や「雪化粧」などの言葉があるように、その対象は人間だけでなく物にも適用されます。

つまり「化粧」は、人間の「外観の美」への意識の表れなのです。

余談ですが、下記の「新・田中千代服飾事典」にあるように、英語の「toilet」には「化粧」とか「身繕い」といった意味があります。そう、普通「toilet」は「トイレ」の意味ですよね。元はフランス語の「toilette」で、この語は「布」を意味する「toile」と「小さなもの」を表す「-ette」が付いて「小さな布」という意味でした。昔は台の上に小さな布を置いて、その上に化粧品を並べたことから、やがて「化粧台」そのものを指すようになりました。英語圏ではさらに「化粧台のある部屋」を意味するようになり、「dressing room」と同じような使われ方をしたようです。日本語で「トイレ」を上品に「化粧室」と言うのと同じです。今でもイギリスではこのような使われ方をするようですが、反対にアメリカでは、「toilet」というと「便器」自体を指してしまうようなので注意です。

けしょう化粧

人体の一部、とくに顔をおしろい、紅などの化粧品を用いて美しく整えることをいう。また同様の目的のために髪をそったり毛を抜いたり、爪を切ったり、耳たぶに穴をあけたり、よい香のものを身につけたりすることをもふくめて化粧という場合もある。化粧と考えられるものは、洋の東西を問わず古くから行われており、それは美に対する本能的要求、信仰的理由、カムフラージュ、儀式、自己表示などのためであったと考えられる。

<中略>

英語ではトイレット(toilet)、メーキャップ(make-up)、ドレッシング (dressing)、フランス語ではトワレットゥ(toilette)、マキヤージュ(maquillage)が化粧の意味にあたる。

人間の「外観の美」への意識は、古今東西問わず本能的に人間に備わっているもののようです。

「世界中で化粧をしない民族はいないと言っても過言ではない」という人もいるほど、「化粧」は人間とともにありました。ゆえにその歴史は長いのですが、それは、その目的が単に「外観の美」だけでなく、文明発展にとって必要な様々な目的があったからだと思われます。

顔や身体に塗る顔料のようなものを「化粧品」と考えるならば、人類最古の化粧品は、「オーカー(天然黄土)」から作られたもののようです。イスラエルのカフゼー遺跡の約9万2千年前の地層から出土した、ネックレスと思われる貝殻にオーカーが付着していたことから、この時代の人類がオーカーを身体に塗っていた可能性があり、今まで確認されている最古の使用例と言われています。

今でもアフリカなどでは、粉末状にしたオーカーで作ったクリームを、全身に塗って生活している部族もいます。赤いオーカーを使用したクリームを髪、顔、身体に塗っているナミビアのヒンバ族などは、時折テレビなどでも紹介されるのでご存知の方もいるかもしれませんね。

「化粧」によって部族で統一した様相は、ユニフォームのように部族と部族の「区別」、「連帯」などにも機能しています。
またこうした原始的な例では、しばしば儀式や呪術といった「宗教的」な意味合いも持っています。
そして、森林など野生の地で裸同然で暮らす彼らにとって、「虫除け」や「日焼け止め」のように肌を守る「医療的・実用的」な機能もあるのです。

古代エジプトでも紀元前1万年頃から、「儀式」のためのボディ・ペイントがなされていたと言われています。

古代エジプト人といえば、ツタンカーメンの黄金のマスクに見られるような、きつく縁どられた太いアイラインのイメージですよね。紀元前4千年の壁画にはすでに「コール」と呼ばれる漆喰のアイライナーが確認されているそうです。
この「コール」は鉛を主成分としていますが、鉛の毒性は水分と混ざると抗菌作用を発揮したため、古代エジプト人は「眼病予防」として、男女問わずアイラインを引いたようです。
また、太いアイラインは、外出時の強い太陽光から目を守る「日除け」としても役立ったそうです。現代でも野球選手が時々デイゲームで、目の下に太い黒い線を描いていたりしますが、あれは「アイブラック」と呼ばれ、目の下で反射する太陽光を抑えているのです。

紀元前1世紀頃の有名な美女「クレオパトラ」は、太いアイラインのみならず、濃紺色のラピスラズリ(瑠璃)や深緑色のマラカイト(孔雀石)などの宝石を砕いた顔料を目の周りに塗っていました。これが「アイシャドーの始まり」と言われています。

クレオパトラの色鮮やかなアイシャドーは、もちろん「外観の美」の追求の形ではありますが、その他「眼病予防」や「虫除け」「日除け」といった機能性に加えて、「邪視(悪意を持って相手を睨みつけることにより、対象者に呪いを掛ける魔力)」から身を守るための「魔除け」の意味も持っていたとされています。

そして、「コール」やこの「アイシャドー」を作るには、鉛やラピスラズリ、マラカイトなどの貴重な半貴石を使用するため、「化粧」は王族や神官などの特権階級だけのものでした。そのため、「権威」を誇示する意味合いも生まれてきました。
やがて特権階級の人たちは、「白い肌は肉体労働をしていない証拠」と鉛白を使って肌を白く塗り始めました。この風習は鉛の有毒性を知られてもなお続き、18世紀まで続いたそうです。

その他、「日焼け止め」としてオーカーを肌に塗ったり、防腐剤としても使われていた香油(「香水」の回参照)で乾燥した皮膚を柔軟にするなど、古代エジプトでは、太陽光の強い地域特有の「化粧」が行われていました。

「美」だけでなく、「宗教的」「医療的」「権威的」・・・こんなにも「化粧」の役割があるとは、意外ですよね。

古代ギリシャでは、人間本来の鍛えられた肉体の美しさが讃えられていたので、化粧は控えめだったようですが、古代ローマ時代に入ると化粧はもっと一般的に広がり、主に女性が施すようになりました。
おそらく、他の医療や科学が進んだりしたことで「医療的」「宗教的」な意味合いが薄れ、より「外観の美」の要素が増えたからでしょう。

古代ローマではファンデーション、口紅、脱毛クリームなども使われており、健康的に見せるために、頬骨の辺りに赤みを入れる化粧法が流行していました。
また、「大きな目」と「長い睫毛(まつげ)」が美人の条件でした。今と同じですね。アイライナーには象牙やガラス、動物の骨や木片などを使用したもの、方鉛鉱(ほうえんこう)や煤(すす)、アンチモンなどを水に溶いたものが用いられたようです。
アイシャドーは黒と青が人気で、灰やアズライト(藍銅鉱)が使われました。またエジプトの影響で、深緑色のマラカイトなども用いられたそうです。

そしてこの古代ローマ時代には、すでに「美白」が盛んになっていたそう。驚きですね!
色が白いことは、「純粋性」という人間の美しさを表現しますが、加えて「労働を感じさせない」ため、特権階級であることを誇示する目的もありました。
それゆえに「美白」志向は、そのまま中世ヨーロッパの特権階級に引き継がれました。

古代ローマ時代後のキリスト教社会のヨーロッパでは、「神がお作りになったものに手を加えてはならない」という教えと、「虚構は七つの大罪のうちの傲慢にあたる」という考え方により、化粧することは憚られていました。
それでも特権階級の人々は顔を白く見せるために、ビールで顔を洗ったり、眉を剃って細くし、額の髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の面積を広くして白さを強調したり、極端な場合は瀉血をして人為的に貧血になることで肌を白く見せようとしたそうです。すごい執念ですよね。

例えば多くのエリザベス一世の肖像画には、顔はおしろいで病的に真っ白に塗られ、そこに逆三角に赤いチークを塗った女王の姿が描かれています。ちょっと歌舞伎のメイクのようでもあります。この表情が分からないほど分厚く塗り、顔を「作り上げる」様相から「make up(メイクアップ)」という言葉が生まれたそうです。

エリザベス一世は、戴冠式などの教会での儀式の「宗教性」を高めるためにも、さらに「美白」にこだわったようです。
そこで考案されたのが、顔に蜜蝋を塗り、その上からおしろい粉をはたいてより白く見せるという化粧法でした。しかし、少しでも温度が上がると蜜蝋が溶けてしまうため、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったとか。

さらに、この頃の化粧品の多くは、まだまだ鉛、水銀、ヒ素などの有害物質を含んでいました。その毒性は女性の肌を蝕んでシミを作り、さらに大量の有毒なおしろい粉を塗りつけてそのシミを隠す、という悪循環を生んでいました。そのシミを隠すためのものとして、「つけぼくろ」も流行ったそうです。また水銀は、歯茎を黒くしたり歯が抜ける副作用があり、そのボロボロの口元を隠す為に「扇子」が流行しました。

「つけぼくろ」や「扇子」といえば、ヨーロッパのファッション・リーダーとなったフランス王妃マリー・アントワネットを思い出しますが、彼女も「白い肌」にこだわり、顔だけでなく首や肩にもおしろい粉をはたき、雪のような白肌を作り上げていました。

「美」と「権威」を保つ化粧は、それなりに代償も大きいものでした。
特におしろい粉に使用された鉛は、直接皮膚からその毒が吸収され、神経系にまで危害を及ぼし、発達障害、肝臓疾患、脱毛などの恐ろしい症状の原因になり、時には死に至ることもありました。
それでも中世ヨーロッパの特権階級の人々が有毒な化粧品を顔に塗り続けたのは、「権威」の象徴とともに、やはり「外観の美」として「白い肌」信仰のようなものが根強くあるように思います。

その後のヨーロッパは、フランス革命など各地で起きた市民革命で特権階級が衰退し、化粧は、現代のように女性が「外観の美」のためにするものとなっていきました。

また、科学者や医薬品メーカーが化粧品を開発するようになり、19世紀末には鉛を使用しないおしろい粉も開発され、できるだけ人間の顔や身体に害の無い、安価なものが登場するようになりました。そして20世紀には、ベースメイクの主流はおしろい粉からファンデーションに変わっていったのです。

「化粧」というテーマは、非常に幅広く深いですね。
お話が尽きないので、この続きは次回にすることにしましょう。

けしょうひん化粧品

美しく装うために用いるもので、フランス語でプロデュイ・ドゥ・ボーテ(produits de beaute)、英語でコズメティック(cosmetic)とよばれる。

歴史的には3000年のむかし、エジプトですでに用いられたことが知られている。当時化粧の中心は目で、眼病を防ぐ意味からみどりの色料が目のまわりに塗られていた。中国では周時代に鉛粉(えんぷん)が用いられ、秦(しん)時代には臙脂(えんじ)がつくられ、始皇帝が阿房宮(あほうきゅう)の姫の紅粧翠眉(こうしょうすいび)をほどこしたといわれる。ローマ時代にはクリーム、 脱毛剤が発達し、一般市民たちが北方の奴隷(どれい)の髪の色にあこがれて髪を染めたり、かつらを用いたりしていた。16〜17世紀には、ムーシュ(はえの意味)とよばれる十字架や切りぬいた布を顔につけることが流行している。また15世紀ごろドイツではすでにオーデコロンが愛用されていた。フランス革命とともに厚化粧から薄化粧になり、1866年には現在のおしろいがつくられるようになり、20世紀にはいり染料の発達により、口紅、マニキュアなどもあらわれた。

<後略>

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。