ファッション豆知識

針(2)

暦で3月になると、まだ肌寒い日が残っていても、もう気分は「春」になりますね。

「春」という季節は、世界中共通で「新しいサイクルの始まり」を意味しています。
前回お話した「針供養」で一新された針で、今年も新しいファッションが生み出されていくのでしょうね。

最近よくテレビで見た「針」は、新型コロナウイルスのワクチン注射が日本でも始まったニュースで映る「注射針」でしょうか。

人の肌に針が刺さるところは、いつ見ても痛々しいです。
「針」は使い方次第で「凶器」にもなりうるので、使用や保管には注意が必要だな、とあらためて思いました。

先端が尖っていない編み物の時に使う「かぎ針」のような針もあります。
本当に様々な種類の針がありますね!

さて、今回は「針」の歴史を、世界と日本でたどってみたいと思います。

現在見つかっている最古の針は、ロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発見されたものだそうです。放射性炭素年代測定によって約5万年前に作られたものだということがわかりました。その長さは7.6cmほどで、驚くべきことに糸を通す針穴も開いており、今私たちが使っているものと形状はそう変わらないものだったようです。

この最古の針は鳥の骨から作られていましたが、旧石器時代の針は、動物の骨、角、牙、殻などの骨角(こっかく)を細く削って先をとがらせ、石器などで穴を開け、動物の腱をなめして作った糸を穴に通し、毛皮の衣服を縫うことに使われていたようです。

材質は時代とともにより丈夫なものに変遷していきました。骨角から金属へ、金属も金の針、青銅針、鉄針、銅針とより強いものが登場しました。やがて現代の針と同じ、炭素を含み強靭で加工性に優れた鋼(はがね)製の針が中国で生まれると、イスラム諸国からヨーロッパ、朝鮮半島から日本へ伝わったといわれています。
ヨーロッパでは10世紀頃に針金が発明され、鉄片の鍛造ではなく、針金を切断して針にすることによって、大量生産できるようになりました。

日本で見つかっている最古の針は、約1万年前(縄文時代)前のもので、長野県の栃原岩陰遺跡(とちばらいわかげいせき)から発掘された鹿角製のものや神奈川県横須賀市の夏島貝塚で見つかったイノシシの骨製のもので、これらも現代のような針穴が開いている精巧なものだそうです。
ちなみに日本では、針穴のことを「めど」とか「針の耳」なんて呼び方もします。ご存知でしたか?

針は針でも釣り針になると、世界最古のものは、なんと沖縄のサキタリ洞遺跡から発見された約2万3千年前の貝製のものなのだそう。

金属製の針は、渡来人の裁縫技術者によって日本に渡来したと言われています。
すでに日本最古の書物である「古事記」にも、崇神天皇の条の三輪山の神との結婚の話の中に、「衣の襴(らん=裾の布)に針を刺し通した」と記述が見られます。

飛鳥時代に建立された法隆寺の宝物館には、聖徳太子が仏像の袈裟を作るときに用いたものと言われている「撥鏤(ばちる=象牙を紅などで染め、表面に彫刻を施した物)の針筒」という針を納める筒が残っているそうですが、残念ながらその中に針は残っていませんでした。

奈良時代のものは、正倉院の宝物殿に七夕の行事に使用された銀・銅・鉄の大きな針や赤・白・黄色の縷(糸)が残されているそうです。
毎年奈良国立博物館で行われている「正倉院展」で出品されることもあるので、機会に恵まれたら実際に見てみたいですね。

平安時代には、裁縫用の針と医療用の鍼(はり)を作る「針磨(はりすり)」と呼ばれる針専門の職人がいたようで、針が市(いち)で売られるようになり、庶民も衣服を縫うことができるようになりました。

その後室町時代には、針金を作る専業の針鉄師という職人が登場し、鉄針の大量生産が可能となり、針はより広く庶民の間で使われるようになりました。

やがて、近世には職人がより専門化し、縫針を生産する「縫針師(針師)」と「打鍼」や「刺針」を生産する「針習(はりすり)」に分かれました。
針や鍼は「針売り」と呼ばれる者たちが売っていましたが、なんとあの豊臣秀吉も武士になる以前、針売りをしていたという説もあるようです。

針の生産者である「針習(はりすり)」は現在福岡県に地名として残っていますが、「古事記」に「針間」と表記されていた、現在の兵庫県周辺を指す「播磨(はりま)」は、今でも針の名産地として知られています。

江戸時代末期、国内の針の主な産地は京都・浜坂・大阪・氷見・広島などありましたが、なかでも京都は針の産地として古く、京針で有名な「三條本家みすや針」は、なんと創業370年を誇る老舗中の老舗です。
京の通りが順に登場する古いわらべうたにも、「一条の戻り橋、二条の生薬(きぐすり)、三条のみすや針……」とその名が唄われています。
針は、腐らず、軽くかさ張らないので、東海道五十三次の旅人に大人気の京都土産だったそうです。
「三條本家みすや針」のお店は、今でも変わらずに三条にあるので、京都に行く機会があったら、ぜひお土産に買ってみたいですね。昔ながらの包装も素敵ですよ。

明治時代に入ってからも、針作りは昔ながらの手工業で生産されていましたが、洋服がヨーロッパから入ってくると、洋服と一緒に洋裁針、いわゆる「メリケン針」も入ってきました。
そして、明治26年京都に「日本製針株式会社」が設立されると、ドイツ製の製造機械などを輸入して、日本で針作りの機械化が始まったのです。

ふと周囲を見ると、縫い針でなくとも日常に「針」は意外に多くあります。
「安全ピン」や「画鋲」のような「ピン」も「針」の一種です。

なんとなく春の花は、自然界の「ピン」のように見えませんか?
大地に根ざし、空にむかってすくっと伸びている様子が、「春はここですよ」と告げているように見えます。

「春眠暁を覚えず」という諺(ことわざ)もあるように、春の睡眠は気持ち良いもので、いつまでも眠っていたくなります。でも、新生活を控えるみなさんは、針が刺さって深い眠りにおちた「眠りの森の美女」のようにならないよう、寝坊には気をつけてくださいね。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。