ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(7)

前回、様ざまな民族が、多くの紛争などによって国と民族の構造が複雑になってしまってもなお、独自の美しい刺繍文化を継承し続け、だからこそそれらは彼らの誇りでもある、というお話をしました。
西のヨーロッパ世界と東のアジア世界を結ぶ中央アジアも、少数民族が複雑な分布で多く住む地域で、素敵な刺繍文化がたくさんあります。

中央アジアには現在、旧ソ連の構成国だったウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンという5つの国があり、ロシア、中国、アフガニスタン、イランなどと国境を接し、欧州とアジア、中東地域を結ぶ十字路として地政学的に重要な地域ですが、古代においては今以上に重要な地域でした。それはこの地域が東西世界を結ぶ物資と文化交流の中心地だったからです。

東西世界を結ぶ道とは、世界遺産でもある「シルクロード」。様ざまな物資が運ばれていましたが、おもに中国で作られた絹製品が多かったということから、この名が付けられたそうです。
中国の上質な絹製品は貴重な贅沢品で、当時栄華を誇っていたローマ帝国でも皇帝をはじめとした貴族たちが虜(とりこ)となりました。その絹製品に美しい刺繍が施されたならば、なおさら高価となったでしょう。一時は中国との貿易赤字が膨らみ過ぎたため、絹製品の着用を禁止する法令を制定することになったとか。

中央アジアには、古来様ざまな遊牧民族がいますが、多くはトルコ系の遊牧騎馬民族で、やがて彼らが定住して都市を形成してシルクロードの要衝となりました。14世紀末に興ったティムール朝がその一帯を征服しイスラム化したため、先の中央アジア5か国はいずれもイスラム教国です。
東西文化の交わる要衝だけに、イスラム様式に様ざまな文化の要素も加わって、独自の刺繍文化を発展させています。

中央アジアの刺繍といえば、「スーザニ」。「スザニ」「スザンニ」とも呼ばれます。「スーザニ(Suzani)」はウズベク語で「刺繍」を意味し、その語源はペルシア語の「縫い針」を示す「スーザン(Suzan)」に由来すると言われています。
ウズベキスタンを中心に、その他タジキスタン、カザフスタンなどの国々に広く伝わる遊牧民の伝統的な刺繍です。
ウズベキスタン国内だけでもブハラ、フェルガナ、ヌラタ、シャフリサブ、タシケントなど地方ごとにそれぞれ特色のある刺繍がありますが、材料はだいたい皆、コットン(木綿)またはシルク(絹)の生地と糸を使い、チェーン・ステッチ、サテン・ステッチ、ボタン・ホールステッチで刺され、縁取りにはカウチング・ステッチが用いられるのが主流のようです。

遊牧民が移動する際に、砂漠など厳しい自然の中で風雨にさらされるため、古いスーザニで残っているものはなかなかなく、現存する最も古いスーザニは、18世紀後半から19世紀初頭のものだそう。15世紀初頭にサマルカンドを訪れたカスティーリャ王国(今のスペイン)の大使によって記された旅行記には、スーザニの前身と思われる刺繍織物について詳細な記述もあることから、もっと以前から行われていた刺繍だと思われます。

スーザニは正確に言うと「刺繍を施した布」のことで、おもに壁掛けやベッドカバー、座布団、礼拝用の敷物などに使われてきました。
イランにもスーザニに似た織物があり、こちらは「針仕事」を意味するペルシア語「スザンカーリー (Suzankāri)」と呼ばれているそうです。
スーザニは今でこそ観光客に人気の民芸品として、一枚のスーザニ布を裁断して小さなバッグやポーチ、クッションカバーなどに加工してトルコの土産店などでも売られていますが、もともとは家庭の手刺繍で、長い時間をかけて丁寧に作られていました。

スーザニのモチーフは各地、各民族によって様ざまですが、一般的なものとして、太陽、月、花 (特にチューリップ、カーネーション、アイリス)、葉とつる、果物 (特にザクロ)があり、魚や鳥なども見られます。
布全体にこれらのモチーフの繊細な刺繍がびっしりと密に施され、その重厚な立体感と、この地域独自の美しい配色がスーザニの魅力です。

イスラムの刺繍でよく用いられるチューリップのモチーフですが、実はチューリップの起源は中央アジアの山岳地帯だと言われています。なんとなく日本人にとっては「チューリップはオランダ」などのイメージがあるので、けわしい山や砂漠に覆われたこの地域にチューリップ、と聞くとちょっと意外ですよね。ちなみに、チューリップはトルコの国花で、トルコの民芸品にもよく見られます。あのチャイグラスの形もチューリップをかたどったものなのだそう。
また、カーネーションの起源も、ヨーロッパではなくイランの隣のコーカサス地方だとのこと。刺繍からその土地の植物のことなどもわかるなんて、面白いですね。

そういえば、前回ご紹介したルーマニアの「イーラーショシュ」もチューリップをモチーフにしていました。
もうひとつスーザニとイーラーショシュの共通点があります。スーザニも、花嫁とその母親が一緒に作りあげ、嫁入り道具として挙式の日に花婿に贈るという伝統があるそうです。
贈られたスーザニは二つの家族の結びつきを表し、幸運、健康、長寿、豊穣のシンボルとして家に飾られます。刺繍に呪術的な祈願が込められる例は、他の多くの民族の刺繍にも見られましたね。刺繍に限らず手間暇のかかる手仕事は、想いがこもりやすいのだと思いますが、時間に追われるような現代の日常では、なかなか見られなくなり、その価値は上がり続けています。

また、砂漠における生地の補強を目的として布いっぱいに細かなモチーフを刺すのも、他の遊牧民にも見られました。
こうした多様な民族の刺繍における共通点は、シルクロードをはじめ、海路での通商が盛んになり、様ざまな文化が影響しあっている証ともいえます。

イスラムの刺繍も、金が好まれる、とか、モチーフやステッチに多少共通点はあるものの、民族ごとに特色は異なり、またそれぞれの地域でそれぞれの発展をしているので、その種類は数えきれないほどあります。

金糸がふんだんに使われるクウェートの刺繍、金糸に加えて金のスパンコールも使いさらに豪華なバハレーンの刺繍、素朴さが残るクロス・ステッチで幾何学模様が並ぶパレスチナ刺繍など本当に多様です。アラビア文字が刺繍されている衣服などもあって、興味深いです。
色彩も様ざまで、黒地に金糸、黒地に赤糸などコントラスの強いものもあれば、ラベンダー色とペパーミントグリーンを中心に金銀の糸で、天界を思わせる明るい色調のものもあります。

ひとくちに「イスラム」といってもその刺繍の多様さからわかるように、本当に多くの民族がいて、さらに信仰の派閥などでも分かれていることを思うと、現在の国際問題などにも少し理解が深まるのではないでしょうか。

アフリカ大陸にもイスラム教の民族が多くいます。特にかつてイスラム帝国が支配していた北アフリカのほとんど国は、イスラム教を国教としています。
アフリカはろうけつ染めなどプリントの布が有名ですが、刺繍はこの北アフリカのイスラム諸国に多く見られるようです。

観光地としても人気のモロッコの古都フェズを中心としたモロッコ北部に、古くから伝わる伝統工芸の「フェズ刺繡」。規則的な幾何学模様が美しいフェズ刺繡はモロッコ国内外で人気が高く、観光客の土産物としても有名です。

フェズ刺繍の特徴は、表裏からみても美しいリバーシブル模様であること。一度通ったところは二度と通らないように布目を数えながら縫うため、かなり高度な技術が必要とされる伝統工芸です。
刺繍(3)」でご紹介した中国の「蘇繍(そしゅう)」も、裏表から鑑賞できる両面刺繍でしたね。

伝統的な手法でこの繊細な刺繡作業担うのは、この地域の小さな村々の女性たち。細部まで緻密に縫い込むフェズ刺繡は目を酷使するため、視力が衰えて続けられなくなる女性もいるくらい過酷な作業です。それにも関わらず、長い間外商などに〝搾取〟されている状況が続いており、刺繡作業を担う女性たちには仕事に見合った対価が支払われず、多くが貧困に苦しむ状況が続いていました。

こうした女性を支援しようと、元青年海外協力隊員の蒲地(かもち)里奈さんという日本女性が、フェズ刺繡のブランド「DAR AMAL(ダール・アマル)」を立ち上げ、現金収入をもたらす仕組みを確立しました。
蒲地さんは女性たちに適正賃金の1.2倍の賃金を支払い、ラマダン(断食月)前には日本円換算で2〜3000円のボーナスも支給しています。
安定した現金収入を得られるようになった女性たちの生活は向上し、家に屋根をつけられたり、病気の娘に手術を受けさせられたりすることができ、皆喜んでいるそうです。

また、このブランドの主力商品のバッグやポーチの材料には、小麦粉の袋が使われています。布を買うにもお金がかかるので、パンが主食のモロッコで手に入りやすい小麦粉の袋を有効活用できないかと蒲地さんが考えついたそうです。しかも女性が気軽に布を買いに外出しにくいというイスラム教国ならではの状況もあり、コストだけでなくそうした不便さも解消する優れたアイディアでした。さらに、土囊(どのう)袋のように目の粗い小麦粉の袋は、通常の布よりも糸の目を取りやすいので作業がしやすく、視力が落ちても仕事を続けられる利点もあるそう。完成したバッグも軽くて丈夫なので、商品の価値も上げる優れモノです。

貴重な世界の伝統を長く継承することのみならず、女性の人権向上に寄与し、さらにモノの再利用にも貢献するエシカルこの上ない取り組みですよね。

モロッコの刺繍、というと、かかとを踏んで履く「バブーシュ(babouche)」という伝統的な履物の刺繍が思い浮かびます。日本でも可愛らしいデザインで人気ですよね。
バブーシュを飾るモチーフは様ざまですが、フェズ刺繍でよく見られる幾何学的な星や結晶のようなものもよく見かけます。
本場のものはヤギやヒツジ、ウシやラクダの革が使われ、美しいビーズ刺繍が施されていたりしますが、日本ではルームシューズとして愛用している人も多く、最近では素材やデザインも日本独自の進化をしているようです。

世界の美しい刺繍が、身近な雑貨として手軽に手に入れられるということは、特にこのコロナ禍では、本当に恵まれたことだと痛感します。
様ざまな民族や国の刺繍から、その民族や国の歴史や文化も感じられるようになると、美しい世界の刺繍を見るだけで、部屋にいながらまるで世界旅行に行ったような気分になりませんか?

次回はどの刺繍をご紹介しましょう。楽しみにお待ちくださいね。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

写真はイメ―ジです。