ファッション豆知識

レース(4)

ヨーロッパのニードル・レースは、その美しさと技術の高さで今でも世界中で人気のあるレースです。特に古い時代に作られた「アンティーク・レース」の中には、芸術・骨董品として貴重なものが多くあります。

前回はそのニードル・レースのうち、ヨーロッパの貴人たちを虜にしたヴェネツィアン・レース(仏語ではポアン・ド・ヴニーズ)をご紹介しました。
そして、このヴェネツィアン・レースがフランスの財政を圧迫し、財務総督のコルベールがしばしばレースの輸入禁止令を出しても輸入は止まらず、とうとう1665年に王立のレース工房を設立し、国産のレースを本格的に作り始めました。「ポワン・ド・フランス(フランス・レース)」の始まりです。

フランス北部のセダン/スダン(Sedan)やシャルルヴィル(Charleville)、アラス(Arras)、北西に位置するノルマンディー地方のアランソン(Alençon)やアルジャンタン(Argentan)、ジゾー(Gisors)、パリとセダンの間に位置するシャトー=ティエリ(Château-Thierry)やランス(Reims)など、おもにフランス北部・北西部のすでにレース作りが行われていた地域を中心に工房が作られました。
これらの地域では、それまでもレース作りは行われていましたが、明確なスタイルを持たず、また場所的にも点在していました。

初めはヴェネツィアン・レースを模倣することから始まったポワン・ド・フランスでしたが、やがて、ヴェネツィアやフランドルなどの技法を取り入れながら、独自のスタイルを築き始めました。
「ピコット(picot)」と呼ばれる小さな輪の縁飾りは、ポワン・ド・フランスの特徴で、ヴェネツィアン・レースよりも可憐さが付加されるように思います。

ポワン・ド・フランスは、さらにそれぞれの地域の工房が独自のスタイルを確立していき、その地域の名で呼ばれるようになりました。

ベルギー国境に近いセダン(スダン)の工房で作られた「ポワン・ド・セダン(Point de Sedan)」は、1740年頃までは、当時人気のあったグロ・ポアン・ド・ヴニーズ(肉厚なヴェネツィアン・レース)を真似た肉厚で大ぶりの模様で、太い「ブリッド/ブロッド/ブリドゥ/ブライド(bride / brid)」で作られた網目になっています。ブリッドとは、グロ・ポアン・ド・ヴニーズなどにも多用されている、モチーフをつなげるボタンホール・ステッチで作られた小枝状のスレッドです。「バー(bar)」とも言われます。そこにポワン・ド・フランスの特徴でもあるピコットが付いていました。
初めはなかなか産業として成功しませんでしたが、やがてルイ14世(1638-1715)や法王の御用達となり、この地域の重要な産業となりました。

その後、軽くしなやかなレースが好まれるようになると、 地の網目(ネット地)=「レゾー(réseau)」は細くなり、模様も当時流行したインドやペルシャの綿織物の影響を受け、エキゾチックな貝殻、果物、流れるような植物柄が複雑に構成され独特なスタイルを確立していきました。
その後ポワン・ド・セダンは、アランソンやベルギーのブリュッセルなど他の地域でも作られたそうです。

フランスのニードル・レースといえば、その代表格のひとつである「ポアン・ド・アランソン(Point de Alençon)/アランソン・レース」。その名の通りアランソンの工房で開発されたレースです。

六角形の網目の薄いレゾーに、ヴェネツィアン・レースのように立体感のあるステッチで、おもに花やつる草模様を刺し描いた美しいレースです。小さなモチーフで構成され、ピコットが付いています。
それぞれのパーツで専門の職人がいて、とても時間をかけて丁寧に作られている繊細なレースなので、「Queen of lace(レースの女王)」とか(機械レースに対して)「Real lace(真のレース)」と呼ばれることもあるそう。

グロ・ポワン・ド・ヴニーズを熱烈に愛用していたルイ14世の評価も得、その後フランス宮廷のファッショニスタ、ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人(1721-1764)やルイ16世妃マリー・アントワネット(1755-1793)も、このしなやかで軽いレースに魅了され、流行を牽引しました。レースのデザインもファッションの流行に合わせて、重いバロック調から可憐なロココ調に変化しましたが、特にマリー・アントワネットは洗練されたシンプルなデザインのものを好んだとか。

フランス革命時に、レース産業自体が一時衰退しますが、その後ナポレオン1世(1769-1821)が結婚の際に、このポワン・ド・アランソンの寝具を妻に送ったことで、再びこのレースが流行したようです。

寝具にも使われた、ということでもわかるように、繊細な仕上がりの割に丈夫なので、アンティークのものでも状態の良いものが多く、今でもアンティーク・レース愛好者の間で人気の高いレースです。
その人気ゆえ、現在もまだアランソンと同じノルマンディー地方のバイユーや、技術の逆輸入的にヴェネツィアでも作られているそうです。

アランソンに次いでレース作りが始まり、アランソンのライバルとなったのが同じオルヌ県にあるアルジャンタンです。

「ポワン・ド・アルジャンタン(Point de Argentan)/アルジャンタン・レース」は、ポアン・ド・アランソンに影響を受けているため似ているのですが、縁飾りのピコットがなく、模様はより詰められて施されているものが多いようです。
このふたつのレースの明らかな相違点は、モチーフ以外の網目部分にあります。ポアン・ド・アランソンが六角形の網目のレゾーを使用しているのに対し、ポワン・ド・アルジャンタンは、初期のポワン・ド・セダンのようにブリッドで作られた網目になっています。
ですので、ポアン・ド・アランソンよりも少し重めでしっかりした印象があります。

このポワン・ド・アルジャンタンも、18世紀のフランス宮廷人たちのお気に入りでしたが、バロック調からロココ調になったマリー・アントワネットの時代には、ポアン・ド・アランソンのような軽いレゾーが好まれたため、こちらもポワン・ド・セダンと同様、ボタンホール・ステッチを使わずにレゾーを軽くしました。その結果、モチーフに独特のスタイルを確立したポワン・ド・セダンとは異なり、ポアン・ド・アランソンと区別がなくなってしまったようです。

その他、18世紀はより軽いレースが求められたため、「ポワン・ド・ヴニーズ・ア・レゾー(Point de Venise à réseau)」というネット地の軽いヴェネツィアン・レースも、フランスで開発されました。
このレースはボビンで作る方がより美しいため、次第にニードルによる製造はすたれていきました。

レース産業が先行していたヴェネツィアやフランドルの模倣から始まったフランスのレースは、宮廷人たちのオシャレ競争が熱くなるほどデザインは洗練され、技術力も高まり、反対にヴェネツィアやフランドルのレースに影響を与えたり、ヴェネツィアやフランドルの工房がフランスのレースを生産するようになりました。

美しいフランスのレースは、コルベールの思惑通り、いえ、それ以上にフランスの重要な産業となり、フランスのファッション大国化を押し進めたと言えるでしょう。

次回は、ヨーロッパのニードル・レースをさらにご紹介していきたいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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