ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(9)

さて、前回はノルウェーの「ハーダンガー刺繍」から、「ドローン・ワーク」 や「カット・ワーク」と呼ばれる刺繍の手法を少しご紹介しましたが、 このような 刺繍は「刺繍」というより「レース」という認識だった人も多いのではないでしょうか。「刺繍」と「レース」は混同しがちなので、あらためて整理してお話したいと思います。

まず「レース」は、糸を撚り合わせたり組み合わせたりして、網状の透かし模様に作られた布を指します。つまり、透かし模様の布であれば、刺繍が施されていなくとも「レース」なのです。
例えば、薄手の布に機械で穴を開けることで透かし模様を作っているレースもあります。

一方、刺繍で模様を描いたものは「エンブロイダリー・レース(Embroidery lace)」または「刺繍レース」と呼ばれています。

今ではほとんど刺繍専用の機械(エンブロイダリー機)で作られていますが、手作業で作られた素晴らしいエンブロイダリー・レースは、ヨーロッパ・アンティークの衣装や調度品などで見ることができます。

エンブロイダリー・レースは、美しいのはもちろん、その豊かな表現性ゆえ、様ざまな用途で使用でき、種類も豊富です。
現在レース業界では、「綿レース」、「チュール・レース」、「ケミカル・レース」に大別されているようです。

エンブロイダリー・レースが作られ始めた当初は、使用される布の素材は主に綿だったので「綿レース」と呼ばれましたが、現在は様ざまな素材の布に刺繍がされているため、総称して「布レース」「生地レース」とも呼ばれています。

エンブロイダリー・レースEmbroidery lace

ローン、ジョーゼット、羽二重(はぶたえ)麻布などに機械ですかし模様の刺繍(ししゅう)をほどこしたレースのこと。他のレースとくらべると比較的かたい感じがする。婦人、 子ども服に多く用いられ、とくに街着程度のドレスやブラウスが多い。 またチュールに糸で刺繍したレースもエンブロイダリー・レースという。また17〜18世紀にヨーロッパでさかんに行われた、織糸をぬかず、刺繍糸で布を強く引いてレースのような感じをみせた刺繍もエンブロイダリー・レースといわれていた。

解説:「新・田中千代服飾事典」より

前回ご紹介したカット・ワークもこの「布レース」の一種で、土台となる布は、織り目がほつれにくく丈夫な綿の他、上質の麻や絹、薄手の毛織物などが用いられています。ひっかけてほつれたりしにくいので、ブラウスやワンピースなどの襟や袖、裾などの装飾としてよく使われます。
また、洗濯のしやすさから、寝具や室内装飾品などの実用品にも使用されます。

カット・ワークは、布に図柄を描き、その輪郭線をボタンホール・ステッチ、ブランケット・ステッチなどで刺繍を施した後、その内側を切り抜いてレース模様を作る手法です。
もともと白い糸を使っていたので「白糸刺繍」とも呼ばれるそうです。

7世紀のヨーロッパではすでに高度な技法が見られ、12世紀頃にはレースに発展したといわれています。
ハンカチーフ」「襟(3)」の回でもお話したように、ルネサンス期のヴェネツィアでは宮廷や教会の貴人たちが装飾を極めており、特にメディチ家のファッショニスタ、カトリーヌ・ド・メディチがレースを大層愛でたために、飛躍的な発展を遂げました。
このヴェネツィア製の精巧なカット・ワークが「ヴェネツィアン・レース」として発展して「ニードル(ポイント)・レース」となり、現代のレースの原型となったそう。

日本には明治時代にヨーロッパの宣教師たちによってもたらされ、上流家庭のクッションやテーブルクロスなどで使われました。

カット・ワークは、優美で立体感のある刺繍ならではの装飾性がありながらも、他のレースに比べて耐久性に優れ実用的なので、今でも根強い人気があります。

カット・ワークCut work

オープン・ワーク・エンブロイダリーの一種で、切り抜き刺繍のこと。縁かがりとブライド(布と布をつなぐ枝のようなもの)による図案部分の地布を切り取ったり、スカラップ飾りのあき柄をつくる刺繍のことで、縁かがりには、ブランケット・ステッチ、オーバーカスト・ステッチなどが用いられ、刺繍の仕方、形のとり方で種々の名称がつけられている。アイレット・ワーク、マディーラ・エンブロイダリー、ビンドロッホ刺繍、アイリッシュ・ワーク、イギリスふう刺繍、ローマン・カット・ワーク、リシュリュー・エンブロイダリーなどがある。カット・ワークは、外郭に2列のランニング・ステッチを刺しながら、ブレードを3本ぐらい糸で張り、糸を密に巻きこんでおく。次にブランケット・ステッチで縁をかがり、最後に内部の布を縁よりきっちりと切り抜いて透かし模様にする。なおこれらの初期のカット・ワークから12世紀ごろのレースづくりに発展したといわれる。

解説:「新・田中千代服飾事典」より

「チュール(六角形の網目が連続するネット)」に刺繍を施したものを「チュール刺繍」と呼びますが、その刺繍が全体的にあしらわれている布を「チュール・レース」または「ネット・レース」と呼んでいます。

チュール刺繍は、優雅で繊細なロココ時代(18世紀)のヨーロッパの貴人たちに愛され、発展しました。
今でも花嫁のヴェールや衣装によく見られますが、19世紀前期の花嫁衣装にもすでにチュール・レースが用いられていたそうです。
ドレスやブラウスの襟などの他、カーテンやハンカチーフなどにもよく使われます。

基本的にはチュールの網目を拾ってチュール地の上に刺繍をするのですが、機械で刺繍する現代では、やわらかいチュールにきれいに刺繍を施すため、チュールに水溶性の基布を貼り合わせ、刺繍した後に基布を溶かしてチュールだけを残します。その他ラッセル編み機で柄を編みこむ製法などがあるそうです。

同じような製法なのが「ケミカル・レース」で、こちらは水溶性の基布に刺繍した後、基布を溶かし、刺繍糸だけを残したレースです。
重厚で豪華なものが多く、ドレスやフォーマル・ウェアに採用されることが多いようです。

チュール・エンブロイダリーTulle embroidery

チュール刺繍といわれるもので、チュール地の上にチュールの網目を拾って刺す刺繍のこと。チュール刺繍はロココ時代、チュールの進んだ製造法によって盛んに行われるようになったもので、19世紀前期の花嫁のヴェールや衣装には、 縁どりをし、花や葉のモチーフを美しく浮き出した精巧な刺繍がみられる。自由刺繍、区限刺繍、チュール・アプリケの3種があり、カーテンやハンカチーフ、 ドレス、ブラウスの衿、ストールなどに応用される。チュール全体に刺繍されたものはチュール・レースとよばれる。

解説:「新・田中千代服飾事典」より

刺繍で作るレース、「エンブロイダリー・レース」をいくつかご紹介しましたが、他にも「刺繍」とあまり認識されていない刺繍があります。

例えば、「アプリケ(アップリケ)」。図柄が刺繍なので、「エンブロイダリー」の一種として分類されます。
そもそも「アプリケ」という言葉は「appliqué」というフランス語で、ラテン語の「貼る・付ける」という意味に由来し、土台となる布の上に別の布や皮などの小片を縫い留めたり、貼り付ける技法や作品を指します。
袖につけるアプリケは「スリーブ・バッジ(Sleeve badge)」とも呼ばれ、単なる装飾にとどまらず、所属や階級を表したり、実用的な目的を持つものも多くあります。

ちなみに日本では「ワッペン」ともいいますよね。ワッペンはドイツ語の「Wappen」が由来で、英語の「emblem」と同義で「紋章」という意味があります。12世紀のヨーロッパの十字軍が、戦場で敵味方の区別をつけるため、盾に用いた紋が起源といわれています。

「パッチワーク(Patchwork)」も、「新・田中千代服飾事典」では「エンブロイダリー」の項に入っています。

エンブロイダリー・レースもアプリケも、今ではほぼエンブロイダリー機やミシンによる「機械刺繍」です。

自動で刺繍ができる機械が産業革命の初期に発明されると、それまで膨大な手間と時間がかけられていた刺繍が簡単に量産できるようになり、貴重で一部の上流階級の人間しか持てなかった刺繍製品が、広く普及するようになりました。

エンブロイダリー機はどんどん高性能となり、最近は家庭用のミシンにまでコンピューター制御の刺繍機能が搭載され、素人でも複雑な図柄を簡単に刺繍できてしまう便利な世の中になりました。

一見、手刺繍と同じように見えるサテン・ステッチやヘム・ステッチも、機械では複数の糸によって施されるため、実はその縫い方は異なり、風合いもどこか違います。
もちろんサテン・ステッチなどは、機械の方が一糸乱れず均等でなめらかな仕上がりなのですが、個人的には手作業ならではの、あの微妙なズレがなかなか良い風合いを出すので、やはり刺繍は手作業のものが好きです。

今回は「刺繍」という認識があまりなかった刺繍を少しご紹介しましたが、いかがでしたか?
次回は再び世界の美しい刺繍をご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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