ファッション豆知識

刺繍<ししゅう>(6)

冬季オリンピック競技大会が北京で始まりました。
オリンピックは、競技だけでなく開会式や閉会式も楽しみにされている人も多いでしょう。各国の趣向の凝らされた演出に気分も高まりますが、私は入場してくる各国の選手の公式服装に注目してしまいます。
それぞれの国の国旗に使われる色は、その国の歴史や思想、環境などを象徴する色が使われている、と「色(7)」でお話しましたが、各国の選手の公式服装には、そうした各国の国旗の色や民族を象徴するデザイン、模様などが上手に取り入れられていて、ファッションを通して世界の様ざまな「文化」の一端を知ることができるような気がします。

ご紹介してきたように、世界の様ざまな民族の美しい手刺繡は、それぞれの民族が持つ自然観や祈願などを表す独自の「文化」として、受け継がれてきました。
これまでアジアのものをご紹介してきましたが、ヨーロッパにも多くの民族独自の美しい刺繍があります。

東欧のハンガリーは伝統的に手工芸が盛んな地域で、その中でも地域ごとに特徴のある刺繡が発展してきました。もっとも古いと言われている「クン刺繍」やトルコの影響がみられる「ウーリ(「貴族の」という意味)刺繍」、「ベーケーシュ刺繍」「シャールケズ刺繍」「ヴァーシャールヘイ刺繍」など多くの刺繍がありますが、有名なのは「カロチャ刺繡」と「マチョー刺繡」でしょう。

世界的にも人気の「カロチャ刺繍」は、ハンガリーの南部にあるドナウ川沿いの小さな街、カロチャ地方に伝わるカラフルな刺繍です。赤、青、黄や緑、ピンクなどのカラフルな刺繍糸で、バラやスミレなどの花々や、カロチャ名産のパプリカなどの農作物が描かれています。伝統的には刺繍枠を使わず、主にサテン・ステッチで図案の大部分を刺繍するので、立体感ある仕上がりが特徴です。

もともとカロチャ刺繍は、一般家庭の女性たちがシンプルなカットワーク刺繍(切り抜き刺繍)で自分の持ち物にちょっとした飾りを施していたことからはじまり、庶民文化として母から娘へと受け継がれてきました。
19世紀中頃にその価値が評価され、国が刺繍製品の輸出を奨励したことで民芸品として大きく発展し、世界に広まりました。
カットワーク刺繍から始まっただけに、レース地に彩られたデザインも素敵です。

今はカラフルな刺繍として有名なカロチャ刺繍ですが、もともとは白い布と白い糸を使った白一色のものだったそう。模様を描く、というより布を立体的に見せるための技術だったようです。
染色技術の発展により多彩な色の糸が登場し、デザインもどんどんカラフルになっていきました。その色彩の豊かさから、刺繍に使われる32色の総称を意味する「チフラ カロチャイ(Cifra Kalocsai)」という言葉もあるそうです。
おもに礼拝やお祭りの時などに着る民族衣装でこの色とりどりの刺繍を見ることができますが、その色調には一定のルールのようなものがあるようで、未婚の若い女性は赤やピンク、黄色などの華やかな色、歳を重ねるにつれてブルーなどの落ち着いた色の刺繍に変わっていくのだそう。また、紫を基調としたものは略式の喪服として着用され、「悲しみのカロチャ」と呼ばれるそうです。

一般家庭の女性たちのちょっとしたオシャレ心からはじまったカロチャ刺繍は、子どもからお年寄りまで広く嗜まれるものでしたから、技術もそれほど難しいものではありません。初心者でも取り掛かりやすく、かつ可愛らしい刺繍なので、日本でも愛好者が多いようです。

同じくハンガリーの「マチョー刺繍」は、ハンガリーの北東にあるマチョー地方の伝統的な刺繍で、2012年にユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
カロチャ刺繍と同様、主にサテン・ステッチで仕上げるので立体感があり、似たような雰囲気がありますが、カロチャ刺繍より立体感のある模様がぎっしりと刺されており、より濃厚な雰囲気の刺繍です。

マチョー刺繍もカロチャ刺繍と同様、はじめは白一色の刺繍でした。やがて、赤一色、赤と青の二色、と色数を増やしていったようです。
現在多く見られる黒の生地をベースに原色の糸が用いられたものは、19世紀末くらいから20世紀にかけて登場してきたタイプです。ちなみに、ベースの黒は「大地」、黄色は「太陽」、赤は「喜び」、青は「悲しみ」、緑は「哀悼」を表すのだそう。

また、「マチョーのバラ」と呼ばれるモチーフが有名で、花芯のところにクジャクの羽の模様のような「クジャクの目」と呼ばれる模様があり、その目を包むように花びらが重なって描かれています。クジャクの目が複数あるものや、花びらの枚数や形が違うものがあったりと、数多くのバリエーションがあるようです。

マチョーのバラにはこんな伝説が残されているそうです。
昔、マチョーの村に悪魔が現れ、一人の青年をさらってしまいました。その青年の婚約者が彼を返すよう泣きながら悪魔に訴えると、悪魔は「美しいバラをエプロンいっぱいに持ってくれば、青年を返す」と言い残していきました。
季節は冬。バラなど一本も咲いていません。そこで婚約者の女性は白いエプロン(スカートの上などに重ねて礼拝の時に着用するもの)一杯にバラの刺繍を施し、悪魔に捧げました。美しい刺繍に埋め尽くされたエプロンを見た悪魔は、これと引き換えに青年を村に帰したそうです。このような伝説によって、マチョーの人びとの間では、女性から男性へ婚約指輪の代わりに「魔除け」としてマチョーのバラが刺繍されたエプロンを贈る習慣もあったとか。ロマンティックですね。

実はこの「バラ」というのは、キリスト教において神聖な花として尊ばれている「シャクヤク」だという説もあります。ハンガリー語で「Pünkösdi rózsa」、英語で「Pentecost Rose」でRose(バラ)という言葉が入っていますが、この花は日本でいうシャクヤクのことだということです。

「イーラーショシュ」と呼ばれる、ルーマニアのトランシルヴァニア西部のカロタセグ地方の刺繍は、赤をはじめ、黒や青や白の単色の太いコードのようなラインを、ウールなどの太い糸を用いてオープン・チェーン・ステッチ(先のステッチの糸を拾いながら、鎖状のステッチを連続して刺すチェーンステッチで、鎖の横幅を広く取る方法)でザクザクと刺し、鳥やチューリップ、蹄鉄や紋章などの模様を描くのが特徴です。

カロタセグでは女の子が生まれるとすぐ、一族の女性はその子の嫁入り道具として枕カバーやベッドシーツなどにイーラーショシュを刺繍し始めて、やがてその子ども自身もその刺繍作業に加わるという伝統がありました。長い時間をかけて施した豪華な刺繍は、花嫁の器量を示したともいわれています。

今ではこうした伝統的な民芸品や民族衣装以外でも、普段使いのワンピースやエプロン、クッションやタペストリーなどの日用品に施され、世界でも人気の刺繍です。

このイーラーショシュに、ちょっと赤一色だった頃のマチョー刺繍の面影を感じるのは、この地方がもともとハンガリーの一部だったからでしょう。イーラーショシュの語源である「イール」は、ハンガリー語で「書く・描く」を意味するのだそう。
イーラーショシュは、カロタセグ地方が第一次世界大戦後にルーマニアに併合された後もなお、少数民族としてこの地に残ったハンガリー人が受け継いできた、民族の大切な伝統文化なのです。

その他、ポーランドやベラルーシなどにも美しい刺繍がたくさんありますが、「各国」というよりその近辺に住む「民族」の文化として受け継がれているものばかりです。
刺繍(3)」でもご紹介したヤオ族のようなアジアの山岳民族も、複数の国に渡って分布していたように、ヨーロッパでも民族の分布は現在の国の領域とは決して一致しません。
特に東欧や中欧は多くの戦争が続き、かなり複雑な民族構造になっています。今まさに情勢が緊迫化しているウクライナやその周辺も、歴史的に数々の紛争や危機がありましたが、それでもなお、民族それぞれ美しい刺繍を独自の文化として代々受け継いできました。ゆえに、それらは彼らの誇りでもあるのです。

美しい刺繍から、複雑で重い民族の歴史もみえてしまうなんて。刺繍というテーマは思っていた以上に奥深いもののようです。
次回も民族の知恵と思いのつまった、世界の美しい刺繍をご紹介します。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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