ファッション豆知識

色(3)

現在、私たちは個人の好みで色を自由にコーディネートできる時代に生きています。
明日着る洋服を選ぶ際も、色の組み合わせを考えるのが1番難しく、1番楽しかったりします。

しかし、かつて色は社会階級を表した「紫」や「黄」のように「権威の象徴」として使用され、一般人には着用を制限された色がありました。
そしてそれは、文化によって異なる認識があることを前回お話しました。

今回は、ちょっとおもしろい逸話のある色のお話をしてみたいと思います。

西洋社会では前回お話しした「紫」の他に、「白」も一般的に「高貴な色」とされています。

時折ニュースで見かけるカトリック教会最高司教であるローマ法王は、たいてい白い正式法衣を着ています。
手袋(2)」のところでも触れましたが、白は特別な色で、おもに正式な礼服で使われる色です。特にキリスト教社会では白に特権が付与されているように思えます。

しかし白の特権は、少々強引ともいえるやり方で意図的に広められたものでした。

白いパルテノン神殿やミロのヴィーナスなどの白いギリシャ彫刻で有名なギリシャは「白い文明」とも言われていますが、神殿や彫刻は実は白ではなく、極彩色のカラフルなものであったということが、これまでの様々な研究によってわかっています。
「白いギリシャ」のイメージは、ヨーロッパの白人たちによる、自分たちの肌の色である「白」に優位性を持たせるための意図的な産物だったとのこと。
18世紀中頃から産業革命を迎えたヨーロッパの列強国が飛躍的に世界にその力を拡大していく際に、ヨーロッパの優位性を示すためにそのルーツであるギリシャ文明に「純粋で高度な白い文明」という価値観を付与したのだとか。
「19世紀イギリスのヴィクトリア女王が純白のウェディング・ドレスを着用したことが、白いウェディング・ドレスが定番化した始まりである」というお話は「ウェディング・ドレス」でも触れましたが、そのことによって白は、ますます「純粋で高度、高貴」といったイメージを強めたのです。

さらに白に対する価値観は「ギリシャ彫刻は白でなくてはならない」という極端な考えに至り、「大事件」を引き起こしました。
「大事件」とは、なんとあの大英博物館の職員がスポンサーの指示に従って、収蔵品の「パルテノン神殿のフリーズ(建物上部の横長の装飾彫刻)」を「洗浄」という名目で、当時わずかに残っていた表面の色を金たわしのようなもので削り取って白くしてしまった、という蛮行で、1939年に発覚した際には大スキャンダルとして大騒ぎになりました。
白に対する妄信が、歴史的遺物を厳重に保管しなければならない世界的な博物館におけるあるまじき行為につながってしまったのです。

実は250年前くらいまでは、ギリシャ文明が「白い文明」ではなかったことが、ヨーロッパでは常識として伝えられていたそうです。
それにも関わらず、今でもギリシャに対して私たちは「白い文明」のイメージがありますよね。それだけこのイメージが強く、歪められた歴史認識が広く流布してしまったわけです。

白が特権階級と結びやすかったのは、「化粧(1)」の回でも出てきましたが、「労働をしていない表れである」ということもあったでしょう。
色も「肌の色」の話となると、差別問題など社会的な問題になる昨今。多様性が唱えられる今、「美白」という価値観に関しても問題提起がされ、多くの化粧品会社がその表現をあらため始めています。
「美白」という概念、あなたはどう思いますか?

「青」も「白」と同様に、西洋社会では「高貴な色」とされています。

一昨年あたりから流行の「ロイヤル・ブルー」。
紫みを帯びた深い青で、とても気品のある色ですが、この「ロイヤル(royal)」とは「イギリス王室」のことで、「ロイヤル・ブルー」はイギリス王室の公式色だということをご存知でしたか?これは、イギリスがかつて七つの海を支配した海洋国家であることから、海の色である「青」に定めたのだといわれています。
ファッション好きな人なら、「キャサリン妃が素敵に着こなしている色」といった方がイメージしやすいかもしれませんね。ウィリアム王子との婚約会見での光沢のあるブルーのワンピースは、たちまち世界中で話題となり注文が殺到しました。その後もキャサリン妃は、頻繁にロイヤル・ブルーの服を着用しています。

また、王家や貴族の血統のことを英語で「blue blood(青い血)」といいます。高貴な者は労働をしないので日焼けしておらず、白い肌に血管が青く透けて見えたことから、ともいわれています。

しかし、もともと「青」は、ヨーロッパ社会ではあまりイメージが良くない色でした。

基本的にラテン人で構成されているローマ帝国にとって青は、敵対する異民族(ローマ帝国人たちにとっては「蛮族」)であるケルト人やゲルマン人を指す色でした。
それは、異民族の居住地であるガリア地方、ブルターニュ地方やゲルマニア地方では、「タイセイ(大青)」と呼ばれる青い染料の原料となる植物の特産地で、彼らは宗教儀礼や戦闘の際に、その肌を青く彩色したといわれます。

けれどもローマ帝国衰退後に台頭したゲルマン人の諸国家も、あまり青を好んだ形跡がないそうです。
中世ヨーロッパでは黒と同様、青い服を着るのは「喪」のしるしだったそう。血色の悪い青ざめた色彩は、「死」のイメージと重なったのかもしれませんね。

そもそも青色染料の「タイセイ」は、発色が良くありませんでした。
その後、ペルシア商人によってもたらされたインドの新しい染料「インディゴ(インド藍)」がとって代わるまで、青は暗いイメージの色だったようです。

実は「インディゴ」はローマ帝国時代にすでに伝わっていましたが、輸出される際に固形にされていたため、染料ではなく鉱物だと誤解されていました。
13世紀に活躍したマルコ・ポーロがその著作「東方見聞録」で、インディゴが染料となる植物であることを紹介したことで、その誤認識をあらためました。
するとヨーロッパではインディゴの輸入が増え、新大陸(現在のアメリカ大陸)で奴隷を使った栽培も始まり安価に手に入るようになると、青い服はより広く着られるものとなりました。

青が「高貴な色」として扱われるのは、特に12世紀頃からカトリック教会で青のステンドグラスが使用され始めてから、といわれています。おそらく技術が進んで青の発色が良くなったからでしょう。

「天界」をイメージさせる青は、キリスト教絵画においても多く使用されるようになりました。
中世後期以降、聖母マリアが青いマント(ヴェール)を着用して描かれるようになり、その際に「天の真実」を表す意味で「ウルトラマリン・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青が使われました。

この「ウルトラマリン・ブルー」は、主にアフガニスタンで採掘されていたラピスラズリを原料とする顔料で、なんと新石器時代から人類が活用していた「最古の顔料」ともいわれています。

ちなみに「ウルトラマリン」とは「海を越える」という意味で、ラピスラズリはヨーロッパ周辺ではアフガニスタンでしか産出せず、それが地中海を超える海路で運ばれたため、「海を越えて来た」という意味があるそうです。
そのためラピスラズリは貴重で高価となり、その高価な顔料を使用することによって、聖母マリアへの賛美の意味を込めたと思われます。
色自体の魅力に加えて、紫や黄と同様、その原料が稀少だったことも、青が特権階級の色となった理由のひとつでしょう。

その後聖母マリアだけでなく、伝説のアーサー王も青い服で描かれるようになったそうです。
この頃はまだ布を「ウルトラマリン・ブルー」に染める染料はなかったため、この鮮やかな青い服を着用できるのは、絵画に描かれる神様や貴人たちしかいませんでした。ですから、青い服は人びとから一種の憧れを持たれていたかもしれませんね。

日本でも「青い衣服の女性」というと、東大寺の「お水取り」にまつわる「青衣の女人( しょうえのにょにん )」の逸話が思い出されます。
鎌倉時代、承元年間(1207-1211)の修二会中、集慶(じゅうけい) という僧侶が過去帳(東大寺に関係した亡くなった人の名を記したもの)を読み上げていたところ、突然青い衣の女性が現れ、「なぜ私の名を読み落としたのか」と恨めしげに問い、集慶がとっさに低い声で「青衣の女人」と読み上げると、その女人は幻のように消えていき、以来必ず「青衣の女人」は抜かさずに読み上げている、というお話です。ちょっと怖いお話ですが、この女性は「青い衣」を着ていたことから「高貴な女性」と考えられています。

聖母マリア崇拝が強かったフランス王家も王家の紋章を、聖母マリアの印であるユリの花をあしらった青地の「フルール・ド・リス(fleur-de-lis)」に定めました。1180年、フィリップ2世は即位に際してユリの花柄の青い衣装を身に着けました。フィリップ2世の孫ルイ9世や同時代のイングランド王ヘンリー3世も、普段から好んで青の衣服を身に着けたそうです。青は「闇の色」から一転、「王の色」となったのです。
青を身につける王たちに倣って、宮廷内の貴族たちもこぞって高貴さを示す青を愛用し、中世ヨーロッパにおいて青は「高貴な色」の位置を確立していきました。

ちなみにフランス国旗のトリコロール(3色)について、「青は自由、白は平等、赤は博愛を表す」とよくいわれますが、それは根拠がない俗説なのだそうです。

現在では「平和・友好」などのイメージも加わり、すっかり人気色となった青ですが、色の評価にも紆余曲折の歴史があるようですね。

青については、まだまだ面白い研究などもあるので、次回ご紹介したいと思います。お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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