ファッション豆知識

えり<襟・衿・領>(2)

前回は「えり」という漢字には主に「襟」と「衿」と「領」という3種類の漢字があり、中国の「領」から日本の「衿」の変遷を通して、日本の衣類の変遷も少しみえたことかと思います。

日本には、丸首型の「盤領(あげくび・ばんりょう・まるえり)」と交差型の「垂領(たりくび・すいりょう・たれえり)」という2種類の衿の形がありましたね。
そして今の「着物」は垂領型の下着だった「小袖」が原型なので、今の着物の衿の形が「垂領」という衿でした。

今回は西洋の「カラー(襟)」について少しお話したいと思います。(以降、西洋のものは「カラー」または「襟」と表します)

英語の「collar(カラー)」の語源は、ラテン語の「首に巻く布」という意味の「collāre」で、フランス語では「col(コル)」といいます。
「カラー」は本来、皆さんが思い浮かべる衣服の身頃(みごろ)に付いている「襟」だけでなく、首周りに付ける円筒状の物の総称であり、古代エジプトの絵画などでもみられるような首の装身具や首飾りなども指す言葉です。

古代エジプトにおいて「カラー」は、もっとも発達していた装身具のひとつで、中でも有名なツタンカーメン王など王族が装着していた、貴石のビーズで作られた「カラー」は素晴らしい美しさです。

また、「トルク(torc,torq,torque)」「トルク・ネックレス」と呼ばれる金属製の大きな首輪も「カラー」のひとつです。
「トルク」の語源はラテン語で「ねじれ」という意味の「torquis(複数はtorques)」で、これはリングの多くがねじられた形をしているからだそう。
厳密には、装着時に前に開くものを「トルクス」、後ろに開くものを「カラー」と呼ぶのだそうです。

「トルク」は、紀元前8世紀頃から紀元後3世紀頃までのヨーロッパ鉄器時代のスキタイ人、イリュリア人、トラキア人、ケルト人などの文化にみられます。特に古代ケルトの美術品の中には「トルク」が多くあり、特に「金製のトルク」は彼らにとって重要なアイテムだったようです。
ケルトの「トルク」は民族移動時代には一度姿を消しますが、バイキング時代に再登場し、主に「銀製のトルク」が流行しました。
他の様ざまな文化や時代においても、ジュエリースタイルの一部として「トルク」がみられます。
また、聖職者の衣服にも初期キリスト教時代より、この「トルク」や独特の「カラー」が使われました。

動物に付ける首輪も英語では「collar(カラー)」といいます。日本でも最近はペットにつける首輪は、一般的に「カラー」と呼んでいますね。

犬や猫などのペットが怪我などをした時に、患部をなめないように装着される保護具の「エリザベス・カラー」は、ご存知の人も多いのではないでしょうか。「エリザベス・カラー」はその名からわかるように、16世紀のイギリスの女王、エリザベス1世の時代の衣服に用いられた「襞(ひだ)えり」に似ていることから、この名前が付けられました。
この「エリザベス・カラー」という名前、日本で呼んでいる愛称みたいなものかと思っていましたら、1960年頃にアメリカで開発され「犬用の保護具 (Protective devices for dogs)」として特許を取得した際からの正式名称でした!

カラーCollar

男女の洋服の衿の総称。 フランス語ではコル(col)とよぶ。 洋服の衿ぐりにつけられた衣服の部分で、構造的には別布でつくって首のつけ根につけられたもの(ロール・カラー、スタンド・カラーなど)、別布でつくられた土台を身頃につけて、 その上に衿をつけたもの(シャツ・カラーなど)、身頃の一部が折返ったものの上に別布の衿がつけられ、その身頃の部分をふくめて衿とよぶもの(テーラード・カラー、ショール・カラーなど)、また身頃の布が首にそってのぼったものなどがあり、これらが組合わされて、さらにさまざまの種類のカラーがある。これらのものが衣服からとりさられて一つの独立した服飾品の名称としても使われる。

解説:「新・田中千代服飾事典」より

西洋社会における「襟」の歴史は、「シャツ」の歴史をたどることになります。

「シャツ」の起源は、古代ローマの「チュニック(tunic)」と呼ばれる、頭から被り、帯を巻いて着用するスリット付きの布切れだといわれています。この頃の「チュニック」は布に穴を開けただけで襟はありませんでした。

西洋も東洋と同様、はじめに登場した身頃(みごろ)から裁ち出した襟は「立ち襟」、つまり「スタンディング・カラー(standing collar)」でした。「スタンド・カラー」の方が耳馴染みがあるかもしれませんね。日本では「盤領」と呼ばれていました。
中国北方遊牧民族の「胡服」と同様、この首の周りを細い帯が囲むような形の襟は防寒の目的で発達したと思われ、ヨーロッパ北部のゲルマン人の衣服にみられたようですが、13〜14世紀になるとヨーロッパ内に広がり、主流となっていたようです。細い帯状だったことから「バンド・カラー」とも呼ばれます。

シャツとともに襟のデザインが発展したのは、ヨーロッパ中世期になってから、といわれています。
14世紀半ば頃から「チュニック」に代わって、丈が短く袖口が細くなった「プールポワン(pourpoint)」と呼ばれる衣服が男子の一般服となりました。
初期の「プールポワン」には襟は付いてなかったようですが、14世紀末から「スタンド・カラー」が付き、次第にその高さが高くなっていったそうです。
また、素材もベルベットや毛皮を使ったり、内側に襞(ひだ)を付けたりして、次第に装飾性を増していきます。

そして16世紀以降、ヨーロッパの宮廷文化が花開くと、襟の装飾性もピークに達し、巨大な“あの襟”が登場しました。
巨大な“あの襟”とは?
みなさん、だいたい想像がついたのではないでしょうか。ヒントは、ペットの「カラー」のところで少し触れた“あの襟”です。

次回は“あの襟”の登場から先の、西洋の襟の変遷をみていきたいと思います。
お楽しみに。

カラーCollar

ー 歴史 ー

カラーは、すでにエジプト時代の服装史にみられ、もっとも発達していた装身具の一つであった。中でもビーズでつくった平たいカラーがそれであり、有名なツタンカーメン王がつけていたといわれるみごとなカラーは、その時代のりっぱな装身具をものがたるものの一つである。初期キリスト教時代にはある種族の間で独特のカラーおよびトーク(torque)が使用された。材料はブロンズ、または金と針金をねじってつくったもので、ネックレスにあたる。 身頃に衿のついたものは、遊牧騎馬民族の胡服にみられ、衿のデザインが注目されだしたのは享楽的な風潮がきざした14~15世紀以後のことで、このころには衿あきが大きくされ、丸形、角形、V形などの衿あきのものがみられたが、前ばかりでなく、背をもV形に大きくあけた、いわゆるバックレスもおこっている。そして折返したベルベットあるいは毛皮を用いたりした。

<後略>

解説:「新・田中千代服飾事典」より

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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