ファッション豆知識

えり<襟・衿・領>(1)

前回は「色」の「カラー」でしたが、今回は同じ「カラー」でも「color(colour)」ではなく「collar」、つまり「えり」のお話です。

「えり」は、衣服の首回りの部分。また、そこにつける縁どりの布を指します。首の後ろの部分である首筋、えり首自体を指す場合もあります。
首の後ろの「うなじ」に生える髪の毛のことを「えりあし(襟足・衿足・領脚)」と呼びますよね。ちなみに「足」は、髪を結い上げた時に、左右に伸びる髪の毛がまるで足のように見えたことからこのように呼ばれるようになったといわれます。

衣服の首周りではないですが、日本では掛け布団の首があたる部分も「えり」と呼び、その部分の汚れを防ぐカバーを「えりカバー」と呼んでいますね。

ちなみに、「えり」には主に「襟」と「衿」と「領」という3種類の漢字があります。
どれも衣服の首周りの部分を指す言葉・漢字ですが、その違いご存知ですか?

実は「襟」は洋服(洋装)に使われる漢字で、「衿」は着物(和装)に使われる漢字なのだとか。ただし、「衿」は人名用漢字で常用漢字ではないため、和服の衿を指す場合でも、常用漢字の「襟」に代えて使われる場合があります。
「領」という漢字を「えり」の意味で見かけることは少ないと思いますが、こちらはもともと中国で「首周りのえり」の意味で使われている漢字です。
「領」は「くび」とも読み、「えり」は「きぬのくび(衣の領・頸)」とも呼ばれました。

古代中国では首の周りを「領」、胸前(むなさき)を「襟」または「衽」、これを結び合わせる紐を「衿」というように、部分によって文字を使い分けていました。
中国や朝鮮では「曲領」「直領」「円領」「団領」「交領」「対領」など、「えり」を表現する言葉が細かく分かれていることから、当時から「えり」が服飾において重要視され、発展していた様子がうかがわれます。

それが日本に伝わり、丸首型のえりを「盤領(あげくび・ばんりょう・まるえり)」、交差型のえりを「垂領(たりくび・すいりょう・たれえり)」と称しました。
実はこれらの形のえり自体は日本古来のもので、古墳時代の埴輪(はにわ)の衣服にもみられるそうです。
現存する埴輪を見る限り、この頃は主として女子の衣服のえりが「盤領」、男子の衣服が「垂領」だったようです。

「盤領」はいわゆる「詰めえり」で、首の回りを円形に囲む丸首式のもの。洋服で言うと「スタンドカラー」ですね。「上領(頸)(あげくび)」とも書きます。
その起源は、ユーラシア大陸の北方民族にあるともいわれています。寒い地では、えりぐりを詰めたこの形が防寒になったのでしょう。

飛鳥・奈良時代には、それまで女子の衣服だった盤領型の衣服が、上流階級の男子が着る「袍(ほう)」や「襖(あお)」といった「朝服(ちょうふく=古代からある日本の官人が朝廷に出仕するときに着用した衣服)」の上着に採用されるようになりました。
その後、平安時代に和様化した日本独自の「束帯(そくたい)」や「直衣(のうし)」「狩衣(かりぎぬ)」「水干(すいかん)」といった衣服にも用いられました。

一方、「垂領(たりくび・すいりょう)」は、両端を肩から胸の左右に垂らし、引き合わせて着用する垂れ下がった形のもの。「下領(さげえり)」ともいいます。
現在の着物のえりは、宮中や神官の衣服など以外はほとんどが垂領型です。
こちらは南方が起源といわれており、胸前(むなさき)でえりを引き合わせた垂領にすることによって風通しを良くし、暑さをしのいだと思われます。

古墳時代には男子の衣服に用いられたものでしたが、飛鳥・奈良時代に盤領型に取って代わられてからは、主として貴族の装束の「内衣(下着や肌着)」として、また女装束、庶民の普段着に用いられたそうです。
着物」の回でも少し触れましたが、この下着系の垂領型衣服が「小袖」となり、「小袖」が表着となって、今の着物になりました。

しかし鎌倉時代に武士が台頭すると、庶民の着ていた垂領型の衣服が武士の公服「直垂(ひたたれ)」などで採用されます。
また鎌倉時代には盤領型の「水干(すいかん)」も、えりを折り込んで垂領に着られたそうです。

垂領は、その後室町時代にできた単(ひとえ)仕立ての直垂である「素襖(すおう)」やその「素襖」の袖なし型である「肩衣(かたぎぬ)」などに引き継がれます。
「直垂」や「素襖」「肩衣」のように、前身(まえみ)の中央が開く衣服の左右の端にある「方形のえり」のことを「方領(ほうりょう)」「角えり(かくえり)」と呼ぶのだそうです。いわゆる私たちが思い浮かべる「着物のえり」はこれです。

ちなみに、着物のえり合わせが現在のように右前になったのは奈良時代で、元正天皇によって養老3年(719年)2月3日に出された令によって、それまで「左衽(さじん=左前)」だったのを、中国の制度に倣い庶民にいたるまで「右衽(うじん=右前)」に統一されました。
現在では「左前は死装束で縁起が悪い」などと仏教観的な解釈も付加され、着物のえりは右前で合わせるのがマナーとなっています。

えり衿、襟、領

首のまわりについている衣服の部分のことで、洋服の場合のカラー(collar)にあたる。日本において、古くは<衿>のことを領(りょう)、あるいは衣の頸(きぬのくび)といい、日本固有の形は、盤領(あげくび、ばんりょう)、あるいは丸襟(まる衿)という首のまわりに円形をめぐらした型と、垂襟(さげ衿)、あるいは垂領(すいりょう)、垂頸(たりくび)という<衿>の両端が前部にたれ下がった型の2種に大別できる。古代の服装は<はにわ>にみられるものから推定されるが、それによると、衿は主として女子は盤領型、男子は垂領型である。衣服のもっとも原始的な形態である貫頭衣(かんとうい)、あるいは古代のローマ人のチュニカ、中国の胡服(こふく)などは盤領に属し、この型のものは起居動作に便利であるところから、日本男子の衣服はそれまでの垂領型のものにかわって奈良朝期以後、盤領型が朝服などにとり入れられ、束帯(そくたい)、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)、水干(すいかん)など上流男子(公家=くげ)の衣服に用いられた。一方、垂領は古代衣服に用いられたものであったが、奈良朝期の盤領の進出により以後は主として、下着やはだ着に用いられた。しかし武士の興隆により鎌倉時代以後、直垂(ひたたれ)、素襖(すおう)、肩衣(かたぎぬ)として発達した。一方、女子装束あるいは下層民の衣服には、古来より垂領が用いられ、今日みられる小袖(こ袖)の衿はすべてこの種のものである(前述のごとくはにわにみられる女子衣服のみ盤領型である)。なお洋服の場合のカラーについては、カラーの項で述べることとする。

解説:「新・田中千代服飾事典」より

「えり」の変遷は、その文化の衣服の変遷と重なります。
次回は、西洋の「えり」について、お話ししたいと思います。
お楽しみに。

文/佐藤 かやの(フリーライター)

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